「国」も「社会」も「産業」も全て、一人ひとりが協力し協働しチカラを発揮し扶け合い成立する。 現代社会は抜け駆けや脱法行為で一人が得する構図はない
東京大学の授業料について続きの投稿です:
例えば、産業として一つの生産品が市場に供給されるまでには、
最終の製品製造事業者が責任を持ち発売するまでの間に、様々な段階があり、様々な構成要素(部品など)が複雑に絡み合い、大きな裾野を形成するように、それぞれの段階で「完成品」をまとめる事業社があり、それらが水平的(横横)に、あるいは垂直的(上下)に、製造を分担し合い協業する事で全体を支え合っています。
この個々個別の部品製造と供給を、末端の分野から、更に次の段階へ次々にリレーし支え合う事で成立するワケです。
これを「サプライチェーン(システム)」と呼んでいます。
途中で目詰まりを起こすと、最終段階で製品の組み立て生産ができなくなり、万事休すに至ります。
以前から指摘していますが、
一人で、あるいは1社(者)で最初から最後まで完結できるモノは、
例え芸術的な工芸品でもありません。
(必ず、第三者の協力や協業を得て、素材の手当から始まりますので)
それを「産業組織」と呼ぶのが一般的です。
そして、事業者の中(内側)では、それぞれの製造段階に応じ
適した「人の組織」が必要です。
また何よりも、他の段階での製品製造の進捗状況を把握し掌握する
「情報を組織」する能力(DX化)が求められます。
イヤ、そのような事をすれば外部に漏れる事を心配されるなら、
全ての段階で「製品製造の内製化」は欠かせません。
(莫大な資本と人材を必要とする事になるでしょう)
日本の社会は、
かなり高度化され、各分野毎に分業と協業が進み、システム化されてきましたが、まだまだもっともっと分業による分担と協業化を合理的に適切に行う事で大きな可能性を保持しています。
この理解を、社会全体が、特に教育界が正しく理解し、何よりも正確に伝える必要があります。
そして、社会全体が置かれた状況を正確に理解する事と奮起する事が、何よりも重要です。
中途半端な「モラトリアム人材」や、社会的なポジションもない「パラサイト人材」を排出し続け、社会的には寄与せず、
寧ろ安易な「反社会的人材」を結果的に大量産出している事を指摘し糺したく・・・
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