ネコもシャクシもタワシもモヤシも、最近の大流行は「データサイエンス」で、底辺大学はカネ儲けの絶好の機会と学部を開設し無知な学生の釣り上げを
近頃、大流行の言葉に「データサイエンス」があります。
それを流行として持て囃し、その人材を求め、足りないとのウワサが一人歩きし、何よりも「リスキリング」の推奨対象にする事を求めたり、それを受け底辺大学は絶好のカネ儲けチャンスとばかりに、
「データサイエンス学部」の開設(新規設置)を始め、遅れずと「データサイエンス学科」の増強などを競い合い、こぼれ落ち漏れそうな大学は「データサイエンス(コース)」を設けるなどなど、ホントに「ナゾナゾ」です。
一気に「学部」を飛び越え「大学院」で、主に「リスキリング」を狙い「社会人」を狙いの対象にし一気呵成に釣り上げを図ろうとするなど、真にお笑いで大笑いですが・・・
その内に、カネになるならと「通信教育講座」で「安価」と出席座学を求めず不要(つまりカネだけ払え)な、京都では背乗り乗っ取り屋で、ウソ八百と高名な「ウソ山学園」なども、カネ儲けだけで手がけそうなトコロが懸念されます。
つい最近までは「MBA」が持て囃され、ネコもシャクシもタワシもモヤシも「MBA」でした。アホクサ!
ナンでもカネに換え、カネにしようとする試みは、
よく言えばチャレンジ精神に富みますが、
悪く言えばサギ精神にも充ちていますので。
まぁ、世の中には「体系的な学び」よりも、その時、その時点で、コンビニ的な知識を身につけりゃ、それでヨイという空気が充ちているのも事実ですから、データサイエンスを用い上手く「良好なデータ」を得て、それを現実の事業(ビジネス)に置き換え、填め活用し事業(ビジネス)利益を得続けるには、基礎的なというか根本的には、それを解釈し当てはめて考えるヒトの高い「知見」が不可欠なのですが。
得る「データ」は「ドキュメント」として真性でも、恣意的では無く冷静に考える能力としての「人間力」を欠けば、あるいはそれを「AI」の判断に委ねるなら、底辺大学が競い合って学部や学科を開設し、そこへ蝟集する、その種のヒトには無縁な事にもなるワケで。
世の中には、
「サギの被害」を求めるヒトは、「海の如し、山の如し」なのですね。
マッ、必ず世の中では「最後のワンマイル」は人手に頼るのは事実です。
そのワーカーは欠かせませんので・・・
引用開始→ データサイエンス(英: data science、略称: DS)またはデータ科学[1][2]とは、データを用いて新たな科学的および社会に有益な知見を引き出そうとするアプローチのことであり、その中でデータを扱う手法である情報科学、統計学、アルゴリズムなどを横断的に扱う。「情報学」も参照
概要
データサイエンスは、統計的、計算的、人間的視点から俯瞰することができる。それぞれの視点がデータサイエンスを構成する本質的な側面であり、これらの3つの視点の有機的結合こそがデータサイエンスという学問の神髄である(Blei and Smyth, 2017[3])。
これまでのデータ解析における現場の知識の重要性に対する認識不足が、データサイエンスという学問に対する幅広い誤解の源泉であると考えられる(Hernan, Hsu and Healy, 2018[4])。←引用終わり
と、例えば、Wikipedia では説明しています。
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