追い込まれ然して掲げる戦略も争点もなく戦いを合意なく決断し斬り込んでみても、竹矢来を前に越える事もできず、竹槍で討ち獲られ斬首され果て終る
衆議院議員総選挙:
戦い済んで、世が明けて!
結果は、このようになり。 ピントがズレたままでしたね。
★戦略を欠く戦いで、勝ちを得て納めた戦いなど歴史にはない★
いわゆる自民党は、驕りによる自壊作用てアベバブルが弾け、
比較第一党を確保したとはいえ、難しい事ですねェ!?
自民党は中身のない「アホノバブル」が弾け23%減に、
公明党は巻き込まれ代表も落選する25%減となり。
もらい事故と言う塩酸の声もあると、それも含め政治なので。
ドジョウノダヤのタチミンは、151%増の大バブルに笑い転げ。
自の56議席の内、50議席を喰った事になる。
公明は8議席の殆どに当たる6議席を大阪で維新に噛み喰われ。
日頃から選挙区で「陰も日向も」なく、地道に選挙区(地元)で細かく丁寧に手当てをしている人物は、
逆風の中で苦しみながらも得票を獲て議席をゲットしている。
より深刻な事は、
沖縄1区で共産党が、沖縄2区で社民党が、単独で議席を得た事実だ。
見逃し、笑って済まされない深刻な事態を認識すべきだ。
引用開始→ 衆院選全議席確定、自民191・立民148 政権枠組み探る
衆議院選挙2024
(日本経済新聞 2024年10月28日 5:25更新)衆院選は28日未明、小選挙区289と比例代表176の全ての議席が確定した。内訳は自民党が191、立憲民主党が148、日本維新の会が38、国民民主党が28、公明党が24、れいわ新選組が9、共産党が8、参政党が3、社民党1、諸派が3、無所属は12だった。
自民、公明両党は公示前の279議席から64減らし215議席だった。定数465の過半数(233)を割り込んだ。自民党派閥の政治資金問題を受けて、逆風下での選挙となった。
自民は公示前の247議席から大きく減らし、立民と国民民主は議席を伸ばし躍進した。石破茂首相(自民党総裁)の政権運営は厳しさを増す。←引用終わり
国民民主党」は、比例区の候補者不足で、
獲得した3議席を(公明、自民、タチミン)に盗られる残念な事態に。
ホォ~! そういう事があるのは久しぶりだな。
と、いう事は31議席を取ったワケだ。惜しいねぇ、悔しいだろうねぇ。
勝ってながら、負けたのだから・・・ ナンともねぇ!?
引用開始→ 国民、比例代表で候補不足 3議席が他党に
(時事通信 政治部 2024年10月28日 08時08分配信)衆院選で躍進した国民民主党は、比例代表の北関東、東海両ブロックで比例名簿に登載された候補者数が獲得議席数を下回り、得られるはずだった計3議席を他党に譲った。
国民の重複立候補者が小選挙区で相次ぎ当選し、比例名簿の候補が不足。北関東の1議席を公明党が、東海の2議席を立憲民主、自民両党が獲得した。←引用終わり
比較第一党で、政権を担っても、政治は日々に混乱を重ね、やがて行き詰まり、
「内閣総辞職」で幕になるのが歴史の示す処で!
引用開始→「少数与党」内閣、政権運営に苦しみ短命に終わったケースも…1994年の羽田内閣は総辞職
(讀賣新聞 2024/10/28 09:47)衆院過半数を割り込んだ自民、公明両党は多数派工作がうまくいかなかった場合、「少数与党」に陥る可能性がある。過去に少数与党が樹立した内閣を見ると、政権運営に苦しみ、結局短命に終わったケースがある。
少数与党内閣の主な事例
1994年4月に発足した羽田内閣では、羽田孜首相が選出された首相指名選挙で歩調を合わせた社会党が内閣発足前に連立を離脱し、与党は過半数を失った。同年6月には内閣不信任決議案が可決される見通しとなり、総辞職に追い込まれた。羽田氏の首相在職日数は戦後2番目に短い64日だった。吉田茂首相の「バカヤロー解散」で行われた53年4月の衆院選では、与党の自由党が過半数に届かなかった。首相指名選挙は決選投票で無効票や棄権が多数出たため、吉田氏が選出され、少数与党で第5次吉田内閣が発足。他党と協力して政権を運営したものの、54年12月の内閣不信任決議案提出をきっかけに569日で総辞職に追い込まれた。
後を受けた第1次鳩山内閣も少数与党で、発足翌月に衆院解散に踏み切った。←引用終わり
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