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2024/10/02

日本社会の原点は、家族・一族の小さな共同体の集落が発達し統治権力を形成する事で平穏平和裡に知恵を出し合い自然に形成された家族社会だ

日本社会の始点について:

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日本は、基本的に農産物の栽培を社会の生産基盤におく「瑞穂の國」であり、その主たる生産農産品は「水稲栽培」でした。


より効果的で効率的な収穫を得るには、何よりも「水」の管理が絶対的に欠かせず「水利」の良し悪しが収穫を左右したワケです。


また、農作物の植え付けや収穫には多くの人手を要するため、他者との作業の協働また協力は不可欠で、
その度合いにより生産(生活)手段の収穫を左右されました。


まず、集落の最初は、何よりも最少の一家族で始まり、やがて年月の経過と共に、
親兄弟を含め家族が徐々に大きくなり、周辺に収穫できそうな営農地を開墾し分家し住み始めるのです。


やがて、大きな固まりが形成され、一定の集落が生活上の必要性から共同化し「村落」が形成されます。
同時に、その地域が豊かな収穫を得続けるための条件として「水利」の整備と、
一定の作業の協働化が進み、やがて大きな共同体へと発展し、自然に数家族が一つの「村」を形成するのでした。


やがて、原始的ではあっても、地の神、山の神、水の神、田の神、などが自然に整えられ「氏神」の「お社」が形成され尊崇されるようになったワケです。
基より、姓はなく名の「〇〇」であり、それで暮らし向きに然程も困る事などはなかったといえます。
(これは沖縄・奄美も同じです)


従って、一つの小さな「集落」の多くは、総て「親子・兄弟・姉妹・親戚・一族」でした。
それが少し拡大した「村落」は、多くが数家族により形成されていた。
そのため、外的に対しては物凄く高い防衛本能を示したのです。


また、何らかの事由により直接の営農地を持たない者を小作農(協働者)として雇用し作業させ、その生計維持を扶けました。


この集団生活と作業の協力集団が、1870年代の初めまで継承されてきました。
「戊辰戦争」を経て、小さな島国であった日本は、突然「西欧列強」と対峙させられ、
奴隷化される事を嫌うなら工業生産により彼らと伍する工業化とそれによる軍事力を保持する必要に迫られました。


以降、1945年のWWⅡの敗戦まで、凡そ70年にわたり、
農村地域の次男三男は都市へ出て工業生産に従事する事を要求され続けたのです。


その後、1960年以降は、農業生産は兼農でも可しとして、
農生産に従事する長男も都市域で工業生産に従事する事を国を挙げて推奨した事で、
農業生産者は現代の「高齢者が担う産業」に成り果て、いま全国のあらゆる地域は疲弊し集落どころか村落も、
広域化した市域も自立し続ける事が困難になり、社会は完全に行き詰まってしまったのです。


都市域へ逃げるように出た多くの者は、
干渉される集団を嫌い「個」を重視した結果「孤」を生み続け、
大都市域内では困難な都市問題を引き起こしています。


それは、一切の家族との紐帯を切り捨て、あるいは地域との紐帯をも切り捨てる事が「大都市域」に居住し、
巧妙に(奴隷)生活を強いられ(する)側の心の闇をも形成しているとも言えます。


それを突破する一つの手段がSNSであり、特に「X(ペケッター)」で、また「YouTube」だとされているのです。
「Instagram」も孤独を癒やす連帯の手段として有効に作用しているとされるが、
いずれも「手の込んだ US 流儀」の押し付けであり、更に「思考の停止や奪い去り」にもなっているようです。


SNSに救いを求め、手を染める事で、
より大きな「フラストレーション」を抱え込まされ自縄自縛に陥り、
人としてほぼ思考破綻してしまっている状態の人を多く見かけるようになりました。


それは、人として実に悲しい事だと眺めているのです。


折から、日本は「地方創生」を掲げ、一極集中から地方分散に取り組まざるを得ない状況にあり、
多少は推進されるのでありましょうが・・・


大切な事は、大都市域で無理矢理に「造型」した「個」の確立の結果として得た「孤」を破壊させる事ではないでしょうか。
そして、安心できる安全な環境であった「集落社会」という協働化による「顔の見える、心の見える」環境に身を置くことで、
人としての安心や安全を取り戻して貰いたいと願うばかりです。


例えば「秋の稔り」に感謝する心を表す「秋季例大祭」は、
地域・村落・集落・一族・家族を上げた喜びと感謝の祭礼であり、壮大な「祭礼・祭典」を開催こそ、
その地を離れた者(人)も、懐かしさを求め戻り来て、他愛ない一時を過ごせる社会を喪ってはならないのです。


その社会の積み上げが「日本」の基盤なのです。
このように稚拙な話をさせて貰いました。
(変に納得され感動されてしまいましたが)

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