近現代の民主主義国家は総ての統治を官僚に委ねる「官僚国家」であり、その行き過ぎや暴走を防ぎ正し(糾す)のが代議制で選ばれた「議員」の責務だ
日本を始め、近現代の「国民国家」は、
その大半の行政は、いずれもプロ官僚に依る「官僚国家」です。
泉房穂さん、その点をお間違いなく!
それが、腐り「闇」と化すのは、歴史的に日本の習性かとも。
飛鳥の頃に「冠位十二階」が定められ、
貴族社会が制度として確立し、その従僕としての官僚が自身の職位と社会的地位を守るため、できるだけ前例を重視した判断を繰り広げ定着させ、それに巣食う者が一方に生まれ、次第に「相互扶助」し合う事で、相応の「闇」も自然に生まれます。
それを正し(時には糺し)、できるだけ遅滞なく公平公正に政策を実行させるのが、近現代の社会では「代議制の議員」が選ばれその役割を与えられ役目を果たす筈ですが。
しかしながら、近現代の「民主主義」は、対峙し展開する政策が複雑に重なり合うため、直線的に説明し事案に対処するのは不可能で、特に、現在のように単純な「人気投票」で選ばれる不勉強な議員には、とても難しい課題です。
一から「官僚」に頼るワケで、ますます「深み」に嵌まり沈みます。
基礎自治体では、課題とされる行政事案がシンプルで「行政サービス」と「市民(住民)」の関係も、
得るべき利害得失がハッキリしており、解決も比較すれば容易なワケで、
それこそが「直接民主主義」と「間接民主主義」の、良き権力配分でもあり、
単純化でき明快に解決策を示し実行する事もできます。
国政は、そう簡単ではナイので、その点が十分に理解できない国民には「フラストレーション」が溜まるのです。
それは泉房補氏が師匠と仰ぐ故・石井紘基氏も、よく理解されていたのではと思量する次第です。
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