Facebook や Instagram の有名人を騙る広告を怪しいと検証もせず釣り上げられ「詐欺被害」に遭い提供者の「メタ」への求償請求はどうか?
最近の SND (特に Facebook )は、フィードとされる交流部分の使い勝手が落ちたと嘆きの声が、
専ら大きく渦巻いているようで・・・
どう使うかは個々人の問題なので、例えば、忘れぬために単なる記憶の記録に過ぎずなら、然したる不便もないのではと・・・
しかしながら、ご自身の体験や倖せ自慢を恥もな外聞もなく公開し、ご意見やご批評を頂戴し、更なる自慢をと考えるヒトもいるワケです。
その声を狙い、利用環境を大きく制限を加えた提供者側の狙い勝ちともいえます。
交流交換の有力なプラットホームのSNSとしてのツールであり伝達手段ですが、
利便性が高まり利活用者が増えた事で、それを伝達や広報から広告のツールや有力な手段として位置づけ、
収益の獲得も視野に有料広告の利活用を創出した X や Facebook は、見事なまでにSNSの世界では一日の長といえます。
しかし、掲げる理想のツールや、その世界に対する悪意を持つ側の者もあり、またそれを巧妙に利活用し情弱な他者を陥れ金員を詐取しようとする側の者が現れるのも、また自然な事で。
特に、Facebook は、善意の利用者(意識高い系)が、善意の交換手段として設計されており、
巧妙な悪意を保つ側の者が利活用する事は想定になかったともいえ、
現実に次々に起こされる悪意の諸問題に対し有効に対処する方法も手段も欠くまま、
呆然とした時期が7年に一度ほどの割合で繰り返されています。
基本は、利活用社自身が「フェイクとトルーを見誤らない事」が、
最前提なのツールなのですが、
そこはツールの利活用者が世界に拡がると、
創出創業者が考えもしなかった事態が時を追うように噴出したワケです。
ハーバード大学の学生間で仲間内の身近な信頼性の高いツールだったものが、
いつの間にか世界を席巻し、世界の日常ツールになり基盤と言われるまでに肥大化し、
現実の問題が生じていると言えます。
Facebook のニセ投稿で詐欺被害に遭ったとする人が集団で、
運営会社のメタに損害賠償を求めて訴訟していますが。
安易に、広告を検証もせず、一儲けしたいと身を乗り出した側の強欲さに支配され冷静に考えず、
釣り上げられた者の責任は無いのでしょうか?
モチロン、悪意を隠した広告出稿を削除しなかった Facebook の責任は一定程度あると考えますが、
一方で検証もせず安易に高額な資金を送金した者の責任はどう裁くのか?
そんなこんなの状況や環境の中で、Facebook は、
無制限に投稿が拡がる事を抑制し「いいね! (同意賛同)」の投稿者への通知も制限し、
投稿コメントの通知も制限し、極めて見にくい状況にしたようで、即ち「超拡大」したベースを極めて限定的なツールへの置き換えを図り始めたように見受けます。
何れにしても原点に戻り初期の健全なツールとして「正常化」する事が肝要かと、静かに受け止め眺めている処です。
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