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2024/12/25

クリスマスに思う事、バブル華やかなりし頃は、知的エリートを自認するオィちゃん達がシャンソニエに繰り出しナゼか盛り上がっていましたよねぇ

モノ事や現象を突き詰めて考え捉える年長のお友達が、
「シャンソンはリベラル臭が付きまとい好きではない」と。

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「シャンソン」と、言えば、なんと言っても " エディット・ピアフ " でしょう。

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決して「バラ色の人生」だったとは思えませんが、まぁそれなりに名を成し名を残したのですから。
「愛の賛歌」は何よりも「愛に飢えた希望」ではなかったかとも。


大正モダニズムで「珈琲文化」と共に、スノッブな香臭を撒き散らし、1950年代~60年代に、よりスノッブへと磨き上げたのが今日まで生き続けている。
この間、「JAZZ」も負けてはいなかった。


1970年代は、シャンソンよりも「フォーク」が一世を風靡し、リベラル臭を撒き散らした。


岡林信康、高田渡、加川良、遠藤賢司、果敢に生きましたが。
80年代は、そんなシンドさから解放されて、無味乾燥な意味不明な無思想な点は松任谷由実に集約されています。


この間、コミュニストは歌声運動を展開し、西武新宿の前で「灯火」を構えていました。
1980年代は、思想追及に疲れ、無味乾燥な「ニューミュージック」が持て囃された。
松任谷由実などは場違い(間違い)にも、カリスマなどとおだて上げられ、「屁」にもならないまま、温度差はあるものの同様のニューミュージシャン共も、商業的に食い扶持を得ている。


1990年代以降は、フォークよりも「ロック」が勢力を得たし、勢力拡張に成功した「ロック」は21世紀に入ると見事に「反権力」の象徴としてポジションを得た。
いわゆる「反原発」「反権力」「反政府」と言えば「ロック」バンドがチヤホヤされている。


音楽や表現活動は、何やら常に「反権力」「反政府」が英雄的とされるのは、大正期に植え付けられた「モダニズム」の残滓に過ぎず、その人物が「いつの時点で、その洗礼を受けた」かに懸かっているのじゃないか。


シャンソンがスノッブなリベラル臭なら、ジャズも同じくだし、フォークはその典型の「お花畑」表現行動で、それを更に爆発させたロックミュージシャンは、社会的不満に対する粋がった「リベラルスノビッシュ」そのものだろう。
イヤ、更に乗り越えた「アナーキー」かも知れない。
元より胡散臭いのだ!
感じ取れない事は分からないし、感じ取れた嫌悪感を、より醸成しただけにしか見え聞こえない。


音楽は個々人の嗜好品ですから。
ジャンルやシンガーに応じて「好き」か「嫌い」で、良いじゃないですか。
殊更に「思想づけ」し、偏狭な嫌悪感を振りまくまでもないでしょうよ。
その思考行動も否定はしませんが、何かどこか、その教条思考に憐れみを覚えます。だから水平にも垂直にも拡がりを欠くわけで。


いや、それが普通でしょう。
知的俗物主義のシャンソンも同じだと思いますが、
変に曲がった価値観で色づけされるとハラが立ちますけど。


シャンソンが、世界へ拡がったのは世界で日頃の生活状況を同じくするヒトが、
普通に暮らす決して豊かではない市民が、何かの希望を託し夢を置き換えたのか!?


だって、そこカシコにある中下層の暮らしを謡っているのですから。
シャンソンでは何を一番に推薦しますか? と、問われると「ろくでなし」でしょうね。

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