「2025大阪・関西万博」は、誰が贔屓目にどう見ても勝算などないんは明らかだ! 無能クズ官僚の石毛を事務局長に据えた人事が失敗の始まりだろ
社会は日々刻々と変化しています。
その変化に応じ社会構造も微少な歩みながら転じます。
いつの間にか、トップランナーであった人が、
あるいは地域が追いつかれ追い抜かれ追い越され、
はるか後方集団に包まれながら、歯を食いしばり後方を引っ張っているような錯覚をする事があります。
それでも、自らには実力があるのだと励ましますが、
既に先頭の姿を捉える事は難しく脱落している事実が迫ってきます。
何よりも途中で棄権し体調が十分でなかったと弁明し体面を守る事もできます。
現実の日本に置き換え捉え冷静に考える事が肝要です。
例えば、
「大阪・関西万博2025」をみても、既に周回遅れは取り戻せる状況にもありません。
必要性も必然性もないまま、維新の創業者を豪語する面倒な橋下・松井のコンビが、取り敢えず景気づけに大阪湾に浮かぶ人工島の「夢洲」に世界の注目を集め、
落ちぶれてはいないと見栄を張るため、政治的取引として当時のPM安倍晋三に吹き込み誑かせ、
彼らの名誉を得たものの、風の具合が適切ではないとみて、巧妙に身を退き、
責任逃れを決め込み涼しい顔で「高みから批判を重ねる滑稽」を見て思う事は、
マラソンで終盤にかかる前、中盤で事態や環境を冷静に捉え分析するチカラがあれば、ここまでの状況には陥らなかったと冷たく眺めています。
国家百年の大計に係る事案は、
一時の勢いや、その段階での情勢を冷静に眺め、
現状分析を正確に捉えた上で「必要な戦略」を立て臨む事が不可欠です。
世間は、凡そ、
カシコが30%。
どちらでもないが40%。
アホウが30%です。
社会の世論は、
カシコがどちらでもない40%から支持を得るために提起し操作します。
これまでは、40%の内の60%即ち全体の24%を獲得しカシコの30%と合算する事で過半数を押さえ、
アホウの30%と残りの16%を手を変え品を変えながら不満を抑え込む手法でした。
ところが、
最近は「SNS」とりわけ「X」と「YouTube」また「TikTok」が多用されるようになり、
社会の世論形成で大きな変化を見せるようになりました。
現実の社会は、大きく変化していますが、
社会を領導するとする立場にある30%のカシコは呆気ヅラで眺めています。
一方に危機感を持つ側もいるのでしょうが杳として掴めずかと。
現実の「日本社会」は、
大きな意味で現実に対するカシコの無知や無責任と、
焦りを持つ側の警告がようやく俎上に乗るかという処です。
なぜ、このような乖離が生じるのか?
それは、カシコは、どのような社会体制、政治体制になろうと、
人材としての質を保つ限り必要とされ周回遅れでも喰えるためです。
もちろん「40%の、どちらでもない」も「30%のアホウ」も喰ってはいけますが、
生涯にわたり繋がれた奴隷のままですから、それに耐える必要が求められます。
それを公然と拒否し「SNS」を不満を投げるツールにして「のし上がった」ってきたのが、
騒がせ屋の立花孝志ともいえましょう。
もぉ、殆ど終わった泉大津市(出身地)の市長選挙に立候補し、
裏付けも無いまま煽りに煽っているそうで・・・
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