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2024/12/04

日本最西端の「与那国島」は先島諸島を構成し八重山群島ともいわれ、都塵に塗れた側には辺境の不便を強いられても、そこには人の暮らしの原点が

沖縄の友人が、
年内で那覇の居住を引き払い与那国へ還るという。

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実際には15歳で島を離れ石垣へ、3年後に那覇へ移り以来50年。
足かけ53年を与那国の島外で生活し営み続け過ごした。


でも、少年の頃まで育った島の生活が忘れられず懐かしいという。


思えば、石垣での3年は「寄宿」であり、それは那覇での始めも同じで、
半ば以降でもそれは「仮寓」に過ぎなかったのであり、
やはり与那国での生活や島の文化が自身には刷り込まれ染みつき剥離する事がない。


まだまだ頭も躰も元気な内に、島へ戻り残された暮らしの時間を、
与那国の海を悠長に眺め愉しみ過ごしたいのだという。


那覇で出会ってからの数々の想い出を語りあった。


「大志を抱き郷関を出る、死すとも還らず」ではなく、
「死す前の剛健な時期に還り、郷里の島に多少なりとも尽くしたい」と、
静かに語っていた。


那覇を引き払い島に戻り周辺を整えるが、
「清明節」の頃には、落ち着くと思うので、落ち着いたら連絡しますと言い、
よければ訪ね来てくださいとも。


そこで「ニライカナイ」の懐へ戻るのだね!
と、返し、
それって「ミライカナウ」になったねぇ!
と、ワケの分からぬ冗句を放ち、電話を切る。


「ニライカナイ」は「シャングリラ」だ。
「ニライカナイ」は心の中の「桃源郷」だ。


必ず、ニライカナイへと、言い続け与那国から那覇へ出た友人は、
「ミライカナウ」(未来に叶う)の意味を込め「未来に叶え」る事だと、
その昔に言った事があった。


沖縄の海は広く大きい。
東に浮かぶ絶海の孤島「南北大東島」から「沖縄本島」を挟み、
西の「与那国島」まで、一県内で900キロはある。
迂回すれば有に1000キロに達する距離で、東京=福岡に当たる距離だ。

(写真は、与那国島「東崎 (あがりざき)」の与那国馬/与那国町提供)

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