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2025/01/18

阪神淡路大震災から30年が経過し、節目の追悼・慰霊の祭典に参会し、感じた違和感!

始発電車で集合地へ:


大震災発生時刻に「黙祷」し、ゾロゾロっと「山手幹線」を西へ進み、
合流者を加えながら「国道2号線」を進んでいます。
東灘で少し歩みを止め当時の雑談をしながら休憩しています。


ここまでは、
国道2号を西へ進み、芦屋に入り春日を越え、芦屋川を通過し、後輩が逝った津知町で手を合わせ、森南町でも頭を垂れ本山まで来ました。
(今日は徒歩行です)


あの日、バイクで目指したのは、東は(現在の)「JR摩耶」で、西は「JR鷹取」でした。
(「JR摩耶」までは到達できたものの「JR鷹取」への到達は無理でした)
「AMラジオ(JOCR)」から流される情報を頼りながら進みました。


その時に識った事:
「座屈倒壊」「生き埋め」「出火延焼」でした。
最初は理解できなかったのですが、西へ進むに連れて圧倒的な現実が目の前に押し寄せ迫ってきました。


「JR摩耶」で友人の一家が無事だと分かり、必要な物資の確認を行い撤収したのです。
その日と翌日に、大阪のスタッフに手当を依頼し・・・
(携帯電話のバッテリーが上がり充電できず終わりました)


天皇皇后両陛下がご臨席される、「追悼の式典」には、
徒歩行グループも余裕を持ち合流でき間に合いました。

引用開始→ 天皇陛下のお言葉全文 阪神大震災30年 (時事通信 編集局 2025年01月17日 12時17分配信)

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 本日、阪神・淡路大震災から30年という節目を迎えるに当たり、亡くなられた6、400余名の方々に、改めて深く哀悼の意を表します。
 今から30年前の今日、多くのかけがえのない命が一瞬にして奪われ、住み慣れた街と暮らしが失われました。震災の後、私も皇后と共に被災地を訪れましたが、被災された皆さんが、困難な現実を前にしながらも互いに励まし助け合い、懸命に前へ進もうとする姿は、今もなお脳裏に深く刻み込まれています。

 現在の復興した美しい街並みを目の当たりにし、これまでの皆さんの努力に敬意を表するとともに、復興に尽力された多くのボランティアや各分野の活動団体、さらには海外からの支援と協力に対し、改めて感謝の意を表したいと思います。

 阪神・淡路大震災以降も、国の内外を問わず、各地で大きな自然災害が頻発しています。昨年1月に発生した能登半島地震の際にも、兵庫県の皆さんが、現地に駆けつけ、被災者に寄り添いながら、震災から得た経験と教訓を生かした支援を行ってきたほか、海外で起こった災害の被災者に対しても心を寄せ、支援を行っていることは、意義深いことと思います。

 阪神・淡路大震災から30年を経て、震災を経験していない世代の人々が増えています。兵庫県では、震災を風化させてはならないという決意のもと、世代や地域を越えて経験と教訓を「繋ぐ」取組を進めており、中でも、震災を経験していない若い人たちが震災について自主的に学び、考え、自分の言葉で発信し、次世代へ繋(つな)いでいこうとする活動に取り組んでいると聞き、心強く思います。

 これからも、震災の経験と教訓を基に、皆が助け合いながら、安全で安心して暮らせる地域づくりが進められるとともに、そこで得られた知見が国の内外に広がり、次の世代へと引き継がれていくことを期待いたします。
 最後に、亡くなられた方々の御霊(みたま)の平安を心からお祈りするとともに、御遺族並びに被災地の皆さんの御健康を願い、私の追悼の言葉といたします。←引用終わり

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兵庫県政は知事の無知や簡易に乗せられる事、脇の甘さも災いし、
知事選挙を終えた後も依然として賑やかな事で、この式典に知事は残念ながら欠席いたしました。
自らが撒いた事ながら、県民として実に情けない事と思量いたします。
私たちの代表を含め、震災犠牲者の御霊に花を献じ過ぎた歳月を思い致しました。

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私たちも、この度の式典を目処に、総ての業務を後継の人材に引き継ぎます。
後継の人材には、当時は小5だった人もいます。
皆さんが、協働する事で「自助・共助・公助」を形成し、社会へ定着させる事ができればと願って止みません。


HAT神戸で「ひょうご安全の日のつどい」への参加と献花を終え、神戸市の会場「東遊園地」へ意気軒昂に向かい。
今日も上空にはヘリコプターが舞い音を地上に叩きつけますが、いわゆる土埃がなく、
空気も綺麗で寒気に包まれる環境は同じですが、極端に寒くもなく快調に歩を進めました。

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HAT神戸の会場を目前に「国道2号」で「ナダシンの餅」を見つけ、

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小腹満たしで買い求め舌鼓を打ちながら、震災後に歩いた時も、
車やバイクで応援に入った時も「ナダシンの餅」に、どれだけ勇気づけられ扶けられたかと言い合い「つどいの会場」へ・・・

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午後は、神戸市役所の南に位置する「東遊園地」へ到着し、
午後2時46分の「東日本大震災」の黙祷にも間に合いました。

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神戸市役所の展望ホールから「東遊園地」の会場を鳥瞰し、お世話をされるボランティアの皆様に謝辞を申し上げ。

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一応、ここで解散に。
その後、猛者は「山手幹線」を御影の弓弦羽神社まで予定どおり徒歩行(全体で26キロ程に)で戻るといい、元気に折り返して行きました。


それなりに歳をとりながらも、
元は「ヤンチャ」な人達ですから「口も足も」達者で元気です。


阪神淡路大震災で神戸が悲嘆に暮れた最大の事は、
鉄道網の崩壊と喪失でした。

①JR東海道本線は「JR六甲道」の駅舎と鉄路が倒壊し不通に。

②阪急電車の神戸線は「住吉橋梁」の東側高架が倒壊し不通に。

②-2)阪急電車の今津線は甲東園駅で「山陽新幹線」の橋桁が崩落し不通に。

②-3)阪急電車の今津線が宝塚駅から宝塚南口駅へのカーブで脱線し不通に。

②-4)阪急電車の伊丹線は伊丹駅が倒壊し仮駅ができるまで不通に。

③阪神電車の石屋川車庫が全壊し留置車両が巻き込まれ使用不可になり、車両のやりくりが困難に。

④神戸高速鉄道(地下鉄)の「大開駅(激甚地域)」が崩壊し、使用困難に陥り東西間の輸送が困難に。

⑤神戸市営地下鉄は「上沢駅(激甚地域)」で駅の使用が困難に。

⑥阪神高速道路が芦屋市最西端から神戸市東灘区で横倒しに倒壊し、
使用不能に陥り、直下の国道43号へ車が集中し身動きできない状況に陥る。
人流と物流が阻害されると大都市圏の生活というか暮らしは成立しません。


とにかく神戸市と阪神間は東西に人や物が往き来する都市域ゆえ、それが寸断されると都市域全体が維持できぬ状況でした。
そこで重宝されたのが「車」より「バイク」だったのは言うまでもありません。


阪神淡路大震災の犠牲者(6434名)の追悼・慰霊で感じた違和感:
神戸では、HAT神戸で兵庫県が主催する会と、東遊園地でボランティア団体が主催する会がありました。
いずれも図らずも落命された「犠牲者」を追悼し慰霊する準備され提供される宗教色のない会だ。


自治体としての兵庫県が主催する「1.17」は、
天皇皇后両陛下がご出席された事もあり、徹底的に形式化され儀式化されており、
式典への招待出席者の人選から会場での受け付けは勿論、開式から閉式まで淡々と進行し卒なく時間どおりに運ばれる。

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国との関係性、傘下の基礎自治体との関係性を軸にするのだから当然といえるが、一遍の「温もり」も感じる事はないのが残念だ。
行政機関のOB出席者の多くが「褒め合い」と「称え合い」を繰り返す場となっている事にも強い違和感があった。


ボランティア団体が組織する東遊園地の追悼・慰霊は、大まかな約束事の取り決めはあるものの、
三々五々に自由な意思で参会し集合する市民に「時」と「場」を提供し、それぞれの参加者が各々の意思で「募金」も行い、
中越の被災地にも、東日本大震災の被災地にも、熊本・阿蘇への被災地にも、能登の被災地にも、声をかけ「共にできる事」を、個人の遺志で自由に協働し協力し合っている。

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来年も維持し開催できるよう、参会する市民はご自身の意志で「募金」を投じる。
それが自然な本来の姿ではないのかな・・・

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