「飛鳥・藤原京」の世界文化遺産登録へ向け、日本政府はUNESCOのICOMOSへ2026年の推薦リストへの申請を送致したと報じられ
「飛鳥・藤原京」を世界文化遺産登録へ!
故・堺屋太一氏が生前、最もアブラが漲っておられた時期に、
PHP研究所が世話人を務めた「世界を考える京都座会」で、
「歴史街道構想」を提議され、それに基づき関西の自治体や財界に働きかけ、
国を含む任意団体を組織し「歴史街道」構想を実現する事務局を形成したのは、
遡る事凡そ40年前の事になる。
日本の国宝の60%が近畿にあり、それらを効果的に結ぶ「道筋」を形成し、
世界に向け「日本の歴史や文化」を観て体験できる " 道 " を提起されました。
それを受け、初期の「構想」を実現し強化する目的で、
近畿の公益事業者に働きかけ構想を現実化させるため、
「I」君を軸に取り組み推進したのです。
先ず、
明日香村を訪ね「高松塚古墳」「中尾山古墳」「石舞台古墳」などを軸に「聖徳太子」に懸かる地域や、
収拾がつかない程の熱いエネルギーが生まれました。
基本的には、
古代から近現代まで「日本の歴史文化」を辿る道筋として、
「伊勢~明日香~奈良~京都~大阪~神戸」を結ぶメインルートを掲げました。
その過程で、
神戸(主として旧外国人居留地)を担当したのですが、
同様に飛鳥と藤原京にも関わりたいとして、約40年です。
徐々にハード面でもソフト面でも整備が進み、
地域の保つ「文化資産」と「観光資産」を地域興しの軸に据える考えが重視され、
想定した以上に意外な拡がりを見せています。
特に大切だったのは「飛鳥保存法」が整えられると、
その外際で無秩序な開発が進み著しく景観を阻害する事でした。
今も、大枠は変わりませんが、人は嫌らしく「名を利用」するのです。
その頃から「飛鳥・藤原京」を世界文化遺産として登録できないか?
そんな事をボンヤリと考えていました。
「I」君は、その実現に向け様々な研究と必要な提案を重ねていました。
結果として、
曙光が見えてきましたのは、本当に嬉しい状況です。
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