阪神淡路大震災で情報入手で最も役立ったのは地元の「ラジオ関西(JOCR)」が事細かく報じる生きるための情報で「AMラジオ」で「TV」は役立たずだ
阪神淡路大震災で、必要な情報伝達は「AMラジオ」が一番でした。
30年前、社屋が潰れても放送し続け、必要な情報を被災地の放送局として被災地・被災者へ届け続けた「ラジオ関西(JOCR)」
定時定型の番組を棄てても被災地の被災者へ生活情報を放送し続けた「MBS毎日放送(JOOR)」は、特に夜半の時間帯に「外国人向けに母国語で生活情報と行政情報」を送り続けた。
これらが重要だと気づいた有志が「FM COCOLO(JOAWーFM)」の設立に結びつけた。
関西財界のバックアップを受け、大阪南港のWTC(今のコスモタワー)から在関西の外国人に向けた母国語放送を1995年10月16日に開局できた。
他にも、神戸では激甚被災地の真ん中で何もなくなった鷹取教会で、被災者(特に被災したベトナム難民)の心の拠り所でもあった、神田神父が尽力され地域のコミュニティFMとして「FMワイワイ」を立ち上げ必要な情報を放送し続けた。
避難所の案内、飲料水の案内、被災受付の案内、仮設住宅の情報、生活支援情報の提供、炊き出し場所の案内、学校の情報、交通機関の情報、安否確認の情報、被災地で被災者が求める必要な情報、その他。
虚偽情報に惑わされる事のないように、悪意のある情報で余計な被害を受けないように、真実の必要な情報を届け続け。
それでも多くの生命が無残にも儚く消えた。
神戸で、友人や知人と邂逅し、29年を振り返り、
今また、能登半島の被災地を思い、今なら自らは、もぉ「立ち上がる事もできないのではないか」との思いが先立つのを抑えもできず。
人の営みは、脆く弱いものなのだと、改めて・・・
繰り返しになるかも知れませんが。
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