大阪~枚方~京都・伏見を結ぶ「淀川クルーズ(舟運)観光」当面は枚方までが本格的に始まります!
淀川の舟運に取り組み復活させようと言い始めたのは、
確か1986年の秋頃でした。
壮大な構想を聞き、最初に思い浮かべた事は、
上方落語の「三十石 夢の通い路」でした。
実現できたら「オモロイやろなぁ」と!?
京都は伏見から大阪は天満の八軒浜まで。
その頃の陸路(淀川左岸)は大阪北浜の高麗橋から枚方、淀を通り京都は伏見までの京街道が。
明治になって以降は京阪電車が京都・三条から伏見・中書島を経て枚方から大阪・天満橋まで結んでいました。
それを、江戸の昔、いやいや室町末期へ遡り、
イチビリが音頭取りして淀川の舟運航路を復活できりゃ、
ほらぁ「オモロイ」がなと、発想者の呼びかけを受け、
インフルエンサーとして一枚噛んだものの、真面目なオヒトらから、
けんもほろろにバカにされ落ち込みましたが、
大御所はその種の反応は織り込み済みで歯牙にもかけず、
そのうち話を聞かせて下さいと、折り目正しく乞うてくるから心配するなと意にも介さずでした。
当時、
京阪電鉄が淀屋橋から毛馬の閘門までの旧淀川(大川)を、既に水上観光船を運航しておりました。
淀川の本流へ乗り入れるには毛馬閘門を開放して貰わなければならず、
大阪市内を洪水から守るためにもナカナカ煩い事でした。
で、手を変え、
公益の経済団体や府・市の行政へ働きかけ、
国の近畿管区機関へ出向き、必要性を説き協力を呼びかけ、
反対できない民間の一致した声を纏め「推進協議会」を設立し、
関係する省庁の近畿管区の出先を参加させる事で基盤を整えました。
事業に興味を持つ側は、推進組織に接触してきますから、
経営体力やプログラムを吟味し経営力とマーケティング能力を保つ事業者に任せればよいのです。
その上で、
実質的なインフラを整備するための壮大なマーケティング計画を創出し、
徐々にインフラ整備を事業として取り組んで貰う事で、
実績を積み上げ効果を計り、社会基盤を造り出し戻れない状況を形成しました。
吾が方は、
10年ほどで関与から退きましたが、皆さんが一致協力して素晴らしい基盤を形成され、
2025年の春と秋に実施するところまで漕ぎ着けられたようで嬉しい限りです。
大阪の中心「淀屋橋」から「枚方」まで、京阪電車なら僅か20分ほどですが、
ゆっくり淀川を遡上するのは、忙しく時間に追い立てられる事を忘れりゃ、
まぁ、日頃の目線では捉えられない驚きの数々がありますよ。
同じアホウをする、言うなら、底抜けの、誰もが「アホか!」と言い否定し馬鹿にする事を、
徹底的にアホウになりアホウとして徹しきってしまえば、壮大なホラも真実になり、
政策としての納得があり国会での議論や精査を経て得心(説得)されると、実現できてしまうのです。
国や自治体が公共として担う事、民間がリスクを背負いリスクを取り担う事を分け、
大阪や京都を訪れる国内外の観光客に、その壮大さを体感させる事で、
関西の保つ様々なポテンシャルの幅広さや底深さを、何よりも日本の魅力を強く印象深く打ち込むのです。
約40年。
コンセプトとマーケティング力にデザイン力を高次元で組織する事。
世界を見渡し、スケールを構築する事ができるか?
近世の先人達は勇気があり、体力と気力を備え淀川の舟運を創出した。
唯一無二の魅力を如何に形成する(できる)か?
辛抱強く諦めず、環境に合わせ耐え諦めずに議論できるか?
イチビリが、底抜けにオモロイ事を考え、イチビリに輪をかけた
太っ腹の超イチビリが実現してくれました「淀川舟運クルーズ」は、
3月半ば16日に初回取り組みの初便がスタートだそうです。
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