ロシア人が「シベリア」へ進出し占領し領有した後に少数民族を組み伏せ奴隷化し、毛皮を始めカネになる物品を簒奪し続け、今も反体制者の流刑地にし
東方正教会というか「ロシア正教」に支配される、
貧しい稚拙で強欲な国家「ロシア」の「私的な史的考察」を:
ロシアが、ウラルの山脈を越えシベリアへ進出したのは、
日本が戦国末期(信長/秀吉)の頃で、当初は「ウラルの東には何があるのだろう?」程度の好奇心や冒険心から始まったと思われます。
その地には、興味深い様々な物はあり、とりわけ「毛皮」を得られる事に気づき、家康が江戸に幕府を開いた頃に、本格的に侵攻し始めたと思われます。
元来、シベリアには少数民族や少数の蒙古系民族が先住していたものと思われますが、持つ武器の差をあり易々と占領され支配され、やがて、1890年の頃にはロシア領へ組み入れられてしまいます。
固より「少数民族」や「蒙古系先住民族」の地域でもあり、
ロシア人が直接統治する形を採らず、それぞれの民族が自治する共和国として統治させました。
(いまも、形だけ乍ら、数多く少数民族の自治共和国があります)
それは、巧妙に奴隷化し収奪する目的を隠し、地域の有力者を持ち上げながら、ロシア正教会の布教を兼ねて間接的に支配したのです。
やがて、ロシア人は、ベーリング海峡を越え「アラスカ」へも達します。
しかしながら、当時の技術では、ベーリング海峡を越え、また北極海を往き来するのは困難を極める事もあり、台頭して著しいアメリカ合衆国へ、当時のロシアは「アラスカ」を売却します。
(まぁ、大変な「ディール・取引」ですね)
+今であれば、エカテリーヌも、ピョートル大帝も、プーチンも、さぞや悔しい事と思われますが・・・
シベリアでロシアに富をもたらせたのが「毛皮」です。
今は、国際的に禁止されましたが、ヨーロッパで「ブルーフォックス」が人気を高め、まるで宝石のように高められ取引され、その市場と取引価格をロシアが差配していたのは、ロシア人がウラルを越え1600年にはシベリアへ踏み出し得た戦利品でもあったワケです。
帝政ロシアの歴史で、ロマノフ王家の、ピョートル、エカテリーナ、ニコライ、この3人の名は欠かせません。これと同様に名を残そうとプーチンは格闘していると思われます。
ロシア革命で歴史に名を残したのは、レーニンで、WWⅡを勝利し悪名を馳せながら名を残したのがスターリンですね。
+++ヒマな時に、また続編を+++
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