ファッションは意図的に創り出された「ブーム」も含め消費され、やがて期待された役割を終えると忘れられるライフスタイルの流行現象に過ぎない
日経は、なぜ最近ファッションに注目するのか?
何かの意図があるのだろうが、浅い捉え方はナニをか言わんやだ。
アパレルに関わり、一家言を保つ人は、多くが「アパレルを学んでから発言しろ」と、偉く高飛車なモノ言いをされる傾向が強いようで。
「ファッション」は、
何も衣服(アパレル)だけの狭い範囲が対象ではないワケで、
人の生き方に懸かる生活全般というか「ライフスタイル」で、その時々に見せる「流行廃り」として総合的に捉えないと、衣服(アパレル)に焦点を当て
「ファッション」として語るには狭すぎ無理があると考え続けています。
人の暮らしぶりの中で、人が関わる「衣・食・住」の、あらゆる分野に、
時の移り変わりに伴う環境変化に合わせ「価値観」は変遷し、様々な要素や要因を背景に、
大きく変わる事もあれば、小さく変わる事もありますが、
大きくはその流れの中で個々の人が表し見せる「価値観」が集約され表徴される点で、
衣料(アパレル)が表し占める点が大きいのだろうと眺め観ながら考えています。
音楽も、映画も、グルメも、旅も、スポーツも、自動車など、通信機器も、家電製品も、住空間も、いまはSNS(特にインスタグラム)など、凡そ人の関係するあらゆる対象を「ファッション」は表徴の手段として「流行廃り」を見せるのです。
意図的に作り出された一過性の「ブーム」も含め、
その中で「不易もあれば、流行もある」と考えると自然なのではないですか?
人のライフスタイルに応じた変化、それに対応する価値観の変化、
それが「流行廃り」として表され、それぞれに各々の大切な「価値観」が現れ出てくるのではないかと考えますが。
(写真の記事は、日本経済新聞 2025年2月12日 朝刊)
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