日本人の大半は相対的ながらも「権威主義」であり、「権威」を受け入れ、「権威」に従い、「権威」を保つ側を尊び従い縋ろうとし、その仕組みを東大は支え
先日の雑談で
現代日本人の思考体質の基を形成している統治制度に起因する話に、
自然な流れで短めの意見交換になった。
日本はというか日本人の大半は「絶大なる権威主義」であり、
基本的に「個の自覚」がなく「個の自律」もないまま「個の自立」など無理な話だ。
一生懸命に事業取り組みをする側の人から、日本の事なかれ主義が生き方の官僚批判になった。
ここでは、このテーマの基本が、
① 行政とは「無駄の制度化」にあり、それが全ての基本である事。
② 行政は求められたテーマに取り組む風を装い、結果的に終わる。
③ 行政官僚は自身の責任に及ばぬよう十重二十重に防御壁を造る。
④ その思考体質は、中央省庁も基礎自治体も一貫した思考体質だ。
+その巧妙な無責任な思考論理体系を形成したのは東大法学部だ。
+ナンとかなりませんかねぇ!?東大的思考の行政官僚は・・・
++の部分が話の大要で、これで終わったのだけれど・・・
A) ナンと、1968年6月~7月の風景が浮かび上がってきたワケで。
B) 医学部の研修医制度を巡る命令的思考体質で縛り上げる東大。
C) 反対する医学部学生を問答無用で処分したが、処分を受けた者は
対象ではなかった。→処分撤回闘争が医学部の中で起きる。
D) 東大は、現場を確認したワケでもなく、当該学生に確認もせず
処分を強行し、撤回もしない(東大の権威が揺らぐ事はタブー)。
E) 遂に安田講堂の封鎖に至り、大河内一男総長は警視庁の機動隊
を導入し封鎖を実力解除。
F) 医学部の処分撤回論争が全学部全大学院を巻き込む紛争に。
G) 全学共闘会議(組織)が形成され自治会に代わり主導する。
H) この時、究極の着地点として「東京大学解体」が提起される。
+東京大学解体=東大的現場確認もせず統治論理(東大法学部)
の主導する東大法学部的思考の解体が全面に出てきた。
I) しかし、1968年7月の「大衆団交」では、書面上の勝ちを得るが、
日を置かず破棄され覆され、学生組織は四分五裂のまま、
翌年の安田講堂事件を迎え2日間の攻防で終わる。
1) 一貫して日本の統治理論「東京大学法学部の法理」は、日本の
隅々まで徹底され、同時に日本的権威主義が罷り通るように。
++官僚組織は、一貫して東大法学部が統治法理として強制する
理論に則り守られ冒険する事がない。
++日本の官僚制度と組織は、WWⅡの敗戦後も堂々とした
「大本営参謀本部の参謀」であり、社会を息詰まらせて平気だ。
**日本社会の官僚制度への不満を耳にする都度、
1968年の7月に一度は勝ちながら、政治権力に徹底的に排外
され、1969年の真冬に打ち据えられた一連の流れを思い出す。
**1968年7月が、5日ほどの勝ちのピークで、1969年1月19日が
決定的な敗北の日であり、以降、55年以上も、あの波を超える事
はできず、被統治者の側には不満が積もっているのだろうな。
★★その世代として思い考えますね。
(モノクロ写真は、時事通信から拾いで、カラー写真は関係者の記録から)
| 固定リンク