現在、日本の中央省庁に巣喰い暗躍し省庁の行政を簒奪する無責任な行政官僚ドモが日本社会を隈なく喰い千切る誤塵と遊罠を造り出し甘やかし破壊
大学の授業料が高く払えない学生が多いのだから「大学の授業料は無償化」すべきだとの声が・・・
高校の授業料は2026年からの無償化が、
2025年度予算で与党と一部の野党が賛成する引き換えに政治的な握り合いの談合で合意された。
ここで明確に基本問題を指摘し一言!
日本國の義務教育は、小学校と中学校であり、
固より高校や大学は「義務教育」の対象外で、
その範疇になく「任意教育」である事の重要な一点を押さえておく必要がある。
次に、
様々な、何らかの理由(事由)により、
小学の基礎段階の不可欠な基礎学習(3~4年生段階)を押さえ、
理解し応用できない生徒(子供達)は、5年生以降の取り組みを始め、
中学校での分野別学習にも支障を来している。
仮に、分かりやすく例を挙げ指摘すれば、
小学(2~3年生)の算数で「掛け算、割り算」が理解できず応用できない生徒は、
円周率も、構成比率も、何の事かと別の世界の話になってしまう。
そのまま、小学高学年(5~6年)へ進み退屈な時間を強要され過ごす。
そして干支が一回りし、義務教育の約束どおり「中学」へ進む。
ここで算数は数学に転じ、数式の理解と応用が始まる。
小学(3~4年生)の算数が分からない(理解できない)児童生徒に、
いわゆる( )付きの数式が現れ、( )の中は先に計算すると言われ、いよいよ分からなくなる。
次に、( )で区切られた中に、掛け算や割り算が、普通に入り込む。
( )の括りがなければ、+やーより×や÷が 優先するなどと、言われても雲の上の世界で、
更に二乗計算などに出くわすと、殆どお手上げで苦痛の強要でしかない。
それが、高校へ進学するなどと、
いよいよワケが分からない状況の展開があり、
更に人生のモラトリアムを消化するために大学へ進学するワケで、
無計画と言ゃぁ本当に無計画そのものだ。
そんな役にも立たない人員に、なぜ税金を投じる必要があるのか?
明治や大正の時代は、
太宰治のような穀潰しが人生のモラトリアムを謳歌し、
一部では賛美されたが、やがて世間を騒がせ自死して絶えた。
平成から令和に至る日本では、
社会の至る所にモラトリアムの今様太宰治が現れ、
穀潰しである事を忘れ「アレコレ」と口にし、
まるで自身の取り組み能力の欠如を「社会」のせいにする勢いで・・・
その遊び賃を寄越せと主張するのが「高校教育の無償化」主張であり「大学教育の無償化」要求だ。
社会全体の構成者として排除する考えなどは毛頭ないが、
義務教育ではない「教育の無償化」は、
政治の責任ではなく「社会が取り組む支援事業」ではないか?
即ち、対象範囲と受給希望者の困窮度と成績に応じ、
手厚い「給付型奨学金」制度を設けるべきであろうと思量し続けています。
非効率な一律主義による救済型税金の投入で解決する事ではなく、
現実の教育現場が抱え込まされた実態に即し合理的に解決できる方法が必要なのです。
従って「飛び級」も認める事。
幅広い「教育支援財団」の設立と運用を社会が強化する事。
高校も大学も、社会が評価し篩いにかける。
★これは文部科学行政へ政策転換を求める問題の指摘です。
また、同時に小中教科書のデジタル化に懸かる弊害問題を抱えている。
「教育のIT化だ」といい、
「教科書のデジタル化」を強引に進めている文部科学省。
タブレットやPCの画面を教科書代わりに用いる事の妥当性を問いたい。
画面はあくまでも平面的な「写真」や「画」であり、
何よりも思考を刺激する「行間」や「深み」はないと考え、
その点もあり思考の弱体化や平面化が進むと考える。
デジタル教科書は、
基本が軽く観て眺めるのであって、
文字で表された意味や考えを思考し深める事には結びつかないだろう。
人は、30年ほど前までは、
電話番号も重要先は記憶するか、あるいはノートなどに手書きし、
必要な時に引っ張りだし用いていた。
現在は、殆どの人がスマホに搭載し、画面で探し出し「ワンプッシュ」で通話するのが一般化した。
すると立ちどころに忘れ去るのであり、覚えようともしなくなる現象を散見する。
人の記憶は文字との格闘であり、
画面は眺め見る対象でしかないため、記憶に残そうともしなくなるのだ。
これが「思考力」を鍛え備えるの基本だろう。
しかしながら、
現代のUS社会は、その記憶をしない(できない)社会の典型であり、
ほぼUS市民の70%~80%は「パブロフの犬」状態だと言え(眺めてい)るようにみえる。
トランプが産まれたのは、
意図的に形成され倦まれ膿む社会が自然に造り出した「パブロフの犬」状態の「集団ヒステリー」に過ぎない。
前回は「バノン」という狂い者が現れ、
今回はそれに負けぬとも劣らぬ呆気ヅラの「バンス」が、取り入ろうとイッショケンメイなのは笑ってしまう。
それと同じ「パブロフの犬」状態が蔓延する社会を、
文部科学省は時間をかけて造り出したいのか?
それを熱く支持するのは、いまならゴミ維新と創業者の橋下徹くらいだ。
そりゃぁ、ゴミ維新と荊領同盟の狙いなのか?
日本社会の危機だろう・・・
| 固定リンク