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2025/03/28

中世から近世に「薩摩藩」の属国にされながら「琉球王国(尚氏)」は米作農民の畝数まで配下に調査記録させ農民を土地に牛馬のように縛り上げ国を築く

沖縄(ネイティブ)は、家族や一族の紐帯が熱く、
何よりも出身の地への入れ込みは更に強く熱いと思います。

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それは300年にわたり「琉球王国(尚一統)」が形成した統治のすさまじさの見事な結果でもあり、
初めて「沖縄の人」との話をした際に何よりも、その「熱さ」と「拘り」に驚きが先立ちました。
既に半世紀以上も前に遡りますが「強さ」や「熱さ」に「拘り」の大きさには、正直に舌を巻いた記憶があります。


極めて善良に捉えられ「文物」を含め、
熱く語られる「琉球王国」ですが、民への支配は「過酷」「熾烈」そのもので、
人も牛馬も同じ事、同じ扱いであったとしか言い様がなく。
民を直接に支配し差配するのは支配地(農作地)を纏め君臨する「組頭」であり、
年貢という租税の徴収と「水、民、牛馬」の管理監督をして直接に民を支配する仕組みです。


生産用地の畝は、
畦を隔て隣接する地とは、口も利かず言葉も交わさず、
狭い狭い用地の世界に縛り付けられ逃げ出しもできず、
米作かサトウキビ作りに励み、搾り上げ続けられる暮らし向きであったとされています。


この仕組みを維持し、
常に下級役人が暴力団の組下構成員のように徘徊させ、
強制支配を維持するために目を光らせたワケです。


更に上に、
地域全体の統治者として支配者の「親方(大名)」が君臨します。
「親方(大名)」は、琉球王国の統治者である国王に仕える者(支配階級として超越した貴族)であり、
カネと人手は、その必要に応じ、自らの支配地に従える下っ端や組頭に命じ「徴税」するのです。


このような濡れ手で粟の支配者であった「琉球王国」の貴族(親方)は、
廃藩置県に真っ向から反対姿勢を崩さず、不服従を繰り返し様々な抵抗を繰り広げました。


明治政府が琉球王国の年貢は過酷すぎるとして、
その大幅な減免を決定し通知した際にも、
「琉球王国」の支配者として被支配者としての民には報せずを貫いた事の記録(文書)もあるようです。


支配されるだけの民は、
米作なら「畝」の数を記録され、畝数に応じた年貢(租税)収納が決められ、
必要な時にはそれに応じ年貢(課税)を増やすのが習わしであったとの記録もあります。


一度でも上がった年貢(租税)は、
下がる事などなく「琉球王国」に収められる事も、薩摩藩へ献納される事もないまま、
支配層としての「親方(大名)」の収入になったのです。


例を上げれば「子の結婚」に際し、
資金が必要になれば、支配地の組頭に命じ「徴税」するのですから驚きで、
そして不平で反乱が起きるのを抑えるには組下の下っ端を動員し鎮圧したといいます。


これって、現代に置き換えるなら
「プッチンのロシア」そのもので、収入が足りなくなれば、配下に命じ武力で支配地を増やすのです。
それに必要な「兵隊」は、組下に従える下級役人に命じ、高額を手にする事ができると嘯き徴兵するのと似通っています。


中世の王国支配の体制とは言え、
その非人間性は言うに及ばずで、
支配構造も「琉球王国」は「帝政ロシア」や「プッチンのロシア」と同じ構図ですよ。
(つまり「封建貴族」による「武力支配」の社会構造そのもの)


尚かつ「怒鳴る怒・花札博奕」は、
その支配体制に憧れ、それを自らも実現しようと躍起になっている処が「道化」そのものじゃないかと。


その手段による「情報支配」の形成は「悪論・マスク」に依拠し、
カネの工面では面倒を看て貰った事もあり、実際は「悪論・マスク」に牛耳られ、
偉大な田舎者の「汚馬鹿・バンス」の尻を叩き「大統領令」を連発しハシャイでいるのだろうが、
この三悪を抹殺除去しなkれえば暗黒が待つだけだろうと指摘したいワケです。


本論の「琉球王国」は明治の近代化政策を受け、
廃藩置県の過程で解体され、沖縄の民は過酷な支配から解き放たれたワケですが、
その約80年を経た後に、全県民の4人に1人が犠牲になり、
続いて米軍に統治支配される悪夢が覆いかかり、今もその軛を引きずっていまます。


しかし沖縄では「琉球王国」への憧憬は著しいモノがあり、
どれだけ圧政を強いられていたかも捨象し、いまや沖縄を象徴する「紐帯」の証としての讃えようには、
皮肉な見方をする側には大きな「違和感」があります。


人の歴史観や、人の文明観などは、
状況と環境次第で、大きく変遷し見方などは一気に書き換えられてしまうのです。


それはロシアがレーニンの革命後も、
時間の経過と共に、貴族社会の統治システムを追認し追従しつつ、
人を入れ替え強力な監視統治体制として残し維持したように。


あるいはまたサンクトペテルスブルグの「エルミタージュ美術館」を大切に誇るように。
沖縄の民にとり、圧政にも関わらず「琉球王国」の象徴としての「首里城」と数々の文物は違和感のない象徴なのでしょう。

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