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2025/03/09

嗚呼! 西武セゾン(グループ)が遂に徹底解体も最後の終章がいよいよ幕開けか、ウォルマート傘下でも維持した「西友」も失敗すれば、その名も消えるか

「西友」は、トライアルに買収統合される!

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心から「惜別」の情を贈り、事業が真に再生されます事を希います。


「西武セゾン(グループ)」を率いた故・堤清二氏が幻想に夢見た「夢幻夢想」を強要されながらも、
並立する「西武百貨店」と共に期待された「夢幻夢想」の実現に、両輪いや二本柱として支えたものの、
一時すら歩みを止め振り返る事も許されないまま、カネを産む「ATM」のように位置づけられ使い回され、
挙げ句は、故・堤清二氏は脇も甘く、それに付け込み都合良く取り巻く、
意味不明な誤塵ドモに食い荒らされ喰い千切られ、放り出され蹴り棄てられたといえる。


「西友」が故・堤清二氏の「夢幻夢想」を実体化し実現したビジネスは「無印良品」であり、
それを生み出し、開発を続けビジネスとして軌道に乗せたのは事業会社の「良品計画」だ。


「西武百貨店」も故・堤清二氏の「夢幻夢想」を実体化せよと責められ、
「LOFT」を造り出してはみたが、自主企画、自主編集、自主製造、自主販売すべきだが、
自主販売を除くと「夢幻夢想」には程遠く、未だ亡霊が号令を出しているのじゃないかなと・・・!?


故・堤清二氏は、基本が夢見の「文学者」であり「経営者」ではなかった。


異母弟で「西武鉄道」と「国土計画(プリンスホテルなど)」を両輪とし二本柱として率いた堤義昭氏と、
兄弟で競い合ったものの、二人に共通するのは事業拡大する時のラッパは威勢が良いものの、
時代の条件変化や環境変化を冷静に眺め観る事ができなかった。


これは、戦前から戦後にかけ、今に至る「西武」を率い基盤を形成した
岳父の故・堤康次郎氏の血を引く存在を彷彿とさせる。


岳父の時代は事業そのものが大福帳でも監理できるほど「こぢんまり」した
規模のデカイ中小家業であったともいえた。


二人とも、岳父に競争させられ「事業拡大」を競ってはみたが、
その事業に相応しい「人材」を得る事は難しかった。


また、共通項は過度にワンマンで、短気であったと眺めている。


西友の稼ぎがマズイと言い、
量販店の「西友」に百貨店事業部を創り上げ「西武」を名乗る店舗展開を強要していたのは悪い冗談だろうと。


関西地域で、
阪急電鉄と阪急百貨店の金城湯池ともいえる地域に、
「西武百貨店」の低価百貨店を創出し、一方でも「西友」の百貨店事業部の " 西武 " を出店したものの、
悪い冗談だろうと「地域の優良顧客」にバカにされ相手にもされず「リヴィン」に名を変えたものの続かず終わった。


お笑いは、そこでフロアーマネージャーから店長になった人物が、
閉鎖し撤収した後に「阪急百貨店うめだ本店」の顧客案内係(業務委託の派遣先)に採用されていた。

顔を合わせた時に、全くバツの悪そうな表情を見せた事を見逃す事はなかったが。


余談ですが「7&I」に、
足下を見られ付け込まれ買い叩かれ傘下に丸め摂られた「LOFT」は、
ゴタゴタ続きの「7&I」から離れ自主独立する方がヨイと考えますがねぇ。


まぁ、何はともあれ、
「西友」は、トライアルの下で名を残し「食料品特化型」の事業として、
地域密着で戦い抜き生き抜いて貰いたいと細やかに願っています。

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