« パラノイア合臭酷の第47代害頭猟 怒鳴る怒・花札博奕「IQ47」の呆気が繰り出す狂気の無原則が無知と無定見で無責任を連発し未曾有の恐怖を撒き | トップページ | 現代社会の構造や仕組みが理解できない「怒鳴る怒・花札博奕」に追従する田舎者の「バンスでザンス」の思考能力では「時間競争」の概念は理解不能 »

2025/04/07

日本の大学は現在は約「800大学」が存立し、下位の4割は定員を確保できない構造不況業種で、文科省は責任を放置し大学の統合を見守る姿勢を貫き

2000年に入り、
日本全体の人口構成が明確に減少への傾向を見せ「将来推計人口(その構成)」に警鐘が鳴り始め、
社会経済も従来の野放図で無秩序な状態に規律を求め舵を切り、凡そ10年が経過した2005年頃に明確に総人口のピークが訪れ、
人口増を前提にした政策の転換点が近い事が指摘されたのですが。


しかしながら、
日本の社会も政治も、WWⅡの廃線を機に「新制大学」として現在に至る構造を再編し、
多くのテーマで思考停止のまま「いま現在」も変化への対応もせず「安穏」と過ごし続けてきました。

Mixi2-univ

総人口が減少すれば、
労働人口も減少するのは必定で、それ相応に「社会生活の水準」を維持し発展させるためには、
社会全体の「生産性」を高める事に取り組み進めなければ、当時(2000年頃)の水準すら維持できず、


基盤としての国や社会の防衛維持も難しくなるのは当然の事なのですが、
それに対する有効な「総合的な政策」は、省庁で横断的に検討され議論されたの記憶がありません。


当時、中堅の私立大学と、最大の公立大学と、専門学校に関与していた事もあり、
それぞれの機関や機構が抱える課題は個別ではありましたが、
本質に懸かる問題と中長期に対処すべき課題は、いずれも根底では共通していました。


いずれもが、
目前の課題に対処し、一つは2007年に、一つは2022年に、一つは2012年に新機軸を打ち出し
当面の対処をしたのです。


しかしながら、
国(文科省)は、総合施策については「教育制度審議会」に委ねたまま、
大学の改廃は「大学設置基準審議会」に任せたまま、
現実に対処すべき問題に「モグラ叩き」を繰り広げるだけで、
人口減少社会に対する課題を大綱化したり指針を検討議論する事もなく、
社会全体の「生産性向上」に教育が果たす役割を正面から議論もせず。


時間と歳月の浪費を重ねただけで、実際にはほぼ何もしない状態でした。
見える形にしたのは「教科書の可能な範囲でのデジタル化」と、
それへ対応するために「PCやタブレット」の導入配布でした。


後期高等教育(大学・大学院)についての「社会的ニーズ」への対処は、
基本的に「大学の自治」を隠れ蓑にして、全く手付かずでした。


それぞれの大学は、
社会的なニーズに対応し「経営体力」や「教員の組織力」に応じ、
個別に起案し「社会的ニーズ」に応えようとしましたが。


文科省の基本は、
介入しない、自主性、学問学術の自由を保障する姿勢で、
それはそれで真に素晴らしい事と評価しますが、
そこには一定程度でも「国の人材育成目標」がなければ非常に難しいのです。


また、
地方創生の掛け声と共に「雨後の竹の子」状態で、
次代の人口構成など何ら考慮する事なく、新規参入と新規設立を容認していました。


この状態で「日本の大学教育」は、
明らかに三極化し、恐ろしいまでの「構造化」が進み、
その結果が受験(勉強)という習慣が「高校教育」から「中学選択」に移り、
小学校段階での激烈な「教育投資」を生み、いわゆる「小・中の義務教育」は事実上崩壊しているといえます。


文部科学省は、
日本の大学が事実上「三極化」しており、
上位の一極層を争い、二極層目の中程までは社会的な期待を集め相応の寄与を成してはいますが、
二極目層の下層から三極目層やそれ以下は社会的な寄与は小さいとは言わないまでも、大きくはないと、
一般的には捉えられています。


当時は、
周辺の利害関係者で、先が見えない、先を見ない、
無定見な無知に激しくサボタージュまた抵抗を受け、
先に対するコンセプトを形成し「綱領化」する事を求める側に身を置く者として心が折れました。
つまり負けたのです。敗退させられ、蹴り出され除去されました。


20年前に、世界市場を相手にした改革を断行すべき時期だったと、
極めて無念で残念な気持ちでおります。

|

« パラノイア合臭酷の第47代害頭猟 怒鳴る怒・花札博奕「IQ47」の呆気が繰り出す狂気の無原則が無知と無定見で無責任を連発し未曾有の恐怖を撒き | トップページ | 現代社会の構造や仕組みが理解できない「怒鳴る怒・花札博奕」に追従する田舎者の「バンスでザンス」の思考能力では「時間競争」の概念は理解不能 »