オバケ嫁を得てはみたものの、胤ナシか卵ナシか識らぬが、子も設け得られず、親から受け継いだ事業も判断間違いで潰し譲渡し、コンサル(潰し屋)だと
2025年も「こどもの日」を終えました。
「少子化への対策(政策)」について、
アレコレと議論に参加し意見を開陳す人。
日本は「思想・信条の自由」も「言論・表現の自由」も
何よりも「学問・研究の自由」も、全て「憲法が保障」する国ですから、
何を主張され何を開陳されても自由です。
しかしながら、
その華々しい意見を開陳され主張される前に、
そっと「ご自身の来し方」に手を当て、真摯に振り返られる事が何よりも先ではないかと。
如何なる理由があり、
現在の立場を模られたのか識る由もありませんので、
これまでの過程に踏み入る事は致しませんが。
ご自身は家族を設けても子を設け(られ)ず、
その環境や条件に目をつぶり黙して触れず語らず都合良く忘れ去り、
アレコレと子育て環境や政策を批判されるのは、ご自由ですがかなり大きな違和感があります。
勿論、それに至った条件(胤無しか卵無し)や環境について、
一々口を差し挟むものではありません。
しかしながら、
子育て家族を一つの単位として捉え、その苦労や苦闘を理解し考える側として、
日常的な「小貴族ぶり」の暮らし(推察)を眺めさせられると、
彼我の差を考え思う時、奔放な意見の開陳や主張を見聞きする都度に、
極めて大きく強い違和感があります。
政治屋とか政治家を名乗る側なら、許し難い「怒り」が沸き起こります。
結局、
「アンタらは他人の子たちの社会負担で生き存えるワケで、お荷物のタカリ屋なんだ(自覚はあるのか?)」と、
許しがたく。
「ニポンの社会は素敵だ」と言うが、
「オマィは日本社会の的だ」と言い返している。
無性に腹立たしくなるのを抑えられません。
(控えておられる方々には、腹立ちも怒りもありませんが・・・)
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