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2025/05/31

近代「日本」は神戸開港と、外国人居留地から近代文明の「文明の利器」「知識・情報」が上陸し、驚きながら学び体得し「近代社会と文明」に挑戦した神戸

神戸「旧居留地」の会をお世話された友人に招かれ、久しぶりの旧交を。


思えば、都市経営を学んだ神戸で、
旧居留地を去ったのは1985年5月31日だった。
それから40年の歳月が流れ。


戯れ歌は、
「モノの始まり、ナンでも堺」だけれど、
近代経済の始めは、近代文物の始めは、ナンでも神戸」だった。


その近代日本を形成する神戸の窓口は、旧居留地からなのだ。


栄枯盛衰で、街の表情は随分と変化した。


何より、母の会社がテナント入居し事務所を置いた明石町の
重厚な「明海ビル」は阪神大震災で解体され、新しいビルには感慨も思い入れもない。


京町の「松岡」さんも去ってしまい。
朽ちかけていた「フィリピン領事館」も撤収し、
味気ないビルが開発され林立するのも・・・・・


渡邊 節先生が設計された「商船ビル」は今もなお堂々たる風格だ。


今は神戸市立博物館だが「旧 横浜正金銀行」は旧居留地の象徴だ。


その前に、「山下新日本汽船の煉瓦ビル」があった。
海運の合併統合で、最終的には「MOL」になったが、
辰馬家の経済力の象徴でもあり。

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石原慎太郎、石原裕次郎 兄弟には想い出の神戸でもあり。
83番の最初は「ジャーディン・マセソン商会」だったのか。


今も猶、悠然と続くのは「ストロング商会」。


デビス」さんのビルは「LLビーン」が撤収した後は、元の駐車場ビルとして屹立し。


伊藤町の「近藤商店」は、” オールドパー ” の輸入総代理店だった。
昔日のビルが御影石の窓枠として記念碑に遺され。


神戸大学に、一橋大学に、「兼松講堂」を寄贈し、貿易人材の後進育成に資した。
その「兼松」も煉瓦ビルが解体され三井の大樹生命ビルへ代わり、
「兼松」は発祥の地に、こぢんまりテナントを占め。


皆さん、矍鑠ながらご高齢になられ。
いやいや、ただただ懐かしいなぁ・・・・・・・

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