外国通信社の知人がいわく「日本のメディアは、なぜ「2025 EXPO」を批判し、無視するのか次代へ向けた「価値の共創」を本当にどう考えているのか
外国通信社の友人との雑談で:
「日本のメディアは、どうして "EXPO 2025" を批判し扱き下ろすのか?」
「”価値を共創する” それをどう考えているのだ?」
「批判の多くは、的外れなグチでもあり、聞くに堪えない」
「その多くの批判は些末な事で、
全体のテーマや、取り組み展示に違和感を感じても、
次の世代や世界への重要なメッセージとして否定せず、
なぜ捉えようとしないのか?」
「人のする事で、
最初から完璧な事やモノなどないのだから、
それを補うには、どのような方法があるかなど、
前進的な建設的な提案がナゼできないのだ!?」
「日本のメディアは、大阪・関西でも出会ったメディアの実力者というのが、
殆ど旧弊な人達が主体で、熱心な批判者だった」
「彼らは、メディアは批判する事で存在感を得られると、
考えているのだろうと受け止めた。間違っているのじゃないか」
「日本のメディアは、東京が中心で、EXPO 2025 が、
大阪での開催をオモシロクナイと考え、
冷笑するのは自由だが、それでは次代の化学的発展など考えられないのじゃないか!」
「日本の中央にあるメディアとして、
ビジネスチャンスを得られないと考え、EXPO 2025 の開催や運営を根源で否定するのは傲慢だ」
「海外からの出展者に対し、失礼この上ない態度だ」
「日本の停滞の多くは、巨大なメディアの "批判" "否定" により、
前進や挑戦が著しく妨げられ、日本の多くが、
それを是とする思考に縮まり安心している点が大きいのではないか」
などなど、
先進国や新興国のメディア関係者も含め、
なかなか、手厳しく真実を射た指摘や発言があった。
いくつか賛同を得る点や事は多かった。
この話を紹介した時、
「失われた30年
メディアの責任はかなり大きいと常々思っております」と、
どこかで聞いた事のあるようなステレオタイプの思い込みともいえる反応がありました。
そこで、
「感情的なメディア批判や愚痴は、
これまで山のように耳にしてきましたが、
言論界からの反批判で有効なモノは殆どなく、
SNS上の感情論でしかなく。
自立した批判でもなく、従って自律性などないままでは
残念としか言いようがない状況かと眺めています」と指摘しておいた。
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