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2025/06/09

激烈な沖縄本島での地上戦を経てWWⅡに敗戦し沖縄が米国に占領され1972年の施政権返還で日本國への復帰から53年の歳月が流れましたが

沖縄と関わり既に59年。


当時は、思想信条を超えて祖国復帰/施政権返還で一致していた。
米軍は、沖縄本島の主要な地で広大な土地を占領し、戦略上の理由から、
拡大の方向を明らかにし、周辺地域の強制収容を繰り広げていた。

Photo_20250609104601

とりわけ、キャンプ・カデナというか嘉手納空軍基地(元の沖縄中飛行場)は沖縄占領の象徴として存在していた。
(いまも、三沢、横田、岩国、嘉手納は、日本の国家権力が及ばない米国だ)

キャンプ・カデナ(極東最大の空軍基地)

キャンプ・キンサー(極東全地域で展開する米軍への補給中継基地)

キャンプ・フテンマ(極東最大の海兵隊常駐基地) は、今も特別な地だ。

このうち、キンサー(浦添/元の沖縄西飛行場)は、間もなく日本へ返還される。


嘉手納を背景に、
コザと美里は、明確に米国の一部であった。
(おそらく今も)


現在、
北谷には「アメリカン・ビレッジ」が集客施設として存立しますが、
当時のコザは雑然とした安物の西部劇の町で無法性を表徴していました。
安物の西部劇でも、保安官はすぐに発砲しますが、コザでは米兵というかMPが発砲の主でした。


モチロン、
米軍が統治支配する琉球政府の下に名目上の地域行政はあったのですが。


米軍に懸かる犯罪事項については、
沖縄というか琉球政府には、警察権も、検察権も、裁判権も存在せず、
MPが全てを保持し握っていました。
(現在も、建前上では「日米地位協定」で司法権は日本が保持していますが、実際には無いに等しいワケで)


沖縄の社会が抱える問題を拾い上げると、
極めて政治性の強い過大というかテーマになるワケで、
それを正面から1時間のシナリオに仕上げて衝撃的な発表を行いました。


左右を越えて、
多大な反響を呼び、演劇として上演を禁止する事は世論に圧され難しくなりました。
沖縄での反応というか反響は、特に熱く大きなインパクトを与えたと思います。
(1967年~1968年が自らにとり最高のポジションだったと思います)


先日(6/07)、
懐かしいコザ市の中心市街地を俯瞰写真として撮られた写真に出会い、
復帰前の一丸としての「祖国復帰運動/施政権返還(獲得)運動」の高揚を思い出しました。


沖縄の世論が左右に大きく分裂し分断されてしまった最大の要因は、
1972年5月15日の日本國の日の丸が琉球政府から沖縄県庁に堂々と翻った日からでした。


それは、
広大な米軍基地はそのまま、米軍の軍人や軍属の犯罪は司法権が及ばぬままで、
核兵器の有無も明らかにせず曖昧で、基地依存経済からの自立自発のプログラムさえもなく、
形だけの「祖国復帰/施政権返還」だった事で、沖縄の期待を悉く裏切り、
左右ともの不信感を高めたのが最も大きな要因です。


それは、
政権の退陣を予定する故・佐藤栄作(故・安倍晋三の大叔父)による、
自らの政権運営の都合というかスケジュールを最優先し、
自身の名誉を遺す事を最優先し、未解決で未消化の問題には全てに蓋をした事で生じています。


その一端を嗅ぎ出し、嗅ぎ分け、暴いたのが当時の毎日新聞の「故・西山太吉」さんです。
あれ以降、日本の政治は政権中枢が「ウソ」と「誤魔化し」を平然と、
しかも堂々と行うようになりました。恥ずかしい事です。


また、沖縄では「米軍」に代わり、
日本国政府が率先し「米軍基地」の強化を推進するワケですが、
必要な問題提起を始め説明を避け、欠かした事もあり、
今日に至る決定的な左右の対立を招き埋めがたい状況になりました。


特に、沖縄では、
保守層の態度を激しく非難し論難する、サヨクの過剰なまでの攻撃は、
今も猶、喉元で「日本の政治の棘」となり突き刺さってしまいました。

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