何よりも先ず『草木国土悉皆成佛』『五蘊皆空』『諸法無我』である事を識り悟る事ではないか 【再掲します】上部構造の思想思考が正しいワケではない
朝廷の庇護を受け、ほぼ官学だった「天台宗」とその「座主慈円」と民間信仰を「専修念仏」で広めた法然と親鸞:
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあえあず、淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。
よく弁えよ! (方丈記より)
最初は山岳で自然を崇拝し自らと向き合う修行を行い、
自ら悟りを得る「修験道」が原始的な信仰の始まりだったのか?
やがて哲学ともいえる「佛教」が伝来し、
原始的な自然尊崇や國産みに懸かる神話との融合性を高め
「山岳密教」と「都市寺院(現在なら大学)」を軸に有効な統治手段として「寺院」が建立され形成される。
従って、統治権力としての「朝廷」は、留学生を独占的に選抜し戻り得た者(知恵者)を重用した。
もちろん「政府高官」に登用する傍らでは「僧籍」を授与し、
山岳寺院の「比叡山」で例えば千日回峰などで「研究(修行)」に邁進させた。
平安仏教は宗教というより学問とりわけ「(宗教)哲学」であったと観ている。
朝廷は学問(研究)所として「最澄(伝教大師)」が比叡山を開山し、
「天台宗(密教)」を体系的に纏め勧めた。
「最澄」と同時期に唐へ留学した「空海(弘法大師)」も帰朝し、
朝廷に要請して授けられた「高野山」に籠もり民間私学として「真言宗(密教)」を開く。
しかしながら何れも「市井の志民」には遠い存在であった。
それは何れも政治統治の有力な手段であり、締め付けだったからでもあった。
特に朝廷と密接に連携を保つ天台の座主は、現代に置き換えれば「東京大学総長」かも知れない。
以前も指摘した事ですが、(当時も今も)統治の基本は「寄らしむべからず、知らしむべからず」で、
統治者にとり有効な手段をシモジモに伝える事は不要だった。
例えば京都で死せば「洛外」の「鳥野辺の地」に打ち棄てられ・・・
反対に政治に関与する朝廷に懸かる貴族や公家は、例えば「青蓮院」などで手厚く葬送された。
現代社会も姥捨て山」は堂々と「特養」に姿を変え存在し、
死せば荼毘に付し、いよいよ「山間の墓所」へ埋葬(打ち棄て)するワケで。
尊崇の立場を採るため「位階」を誇示する「戒名」を与え形式を重視し弔いの形を保つ。
「平安仏教」は基本的に「密教」であり、
朝廷の権威を保ち統治する上で戒律で縛るのは重要な手段だった。
そのために「地獄」を組み入れ「閻魔大王」を創出形成(持ち出)し利便な「戒」とした。
権威は「律」と「戒」を保つのだ。
例えば、鳥野辺の地であった六波羅に在る小野篁の珍皇寺による「六道の辻」に懸かる話など、
現代社会では「お笑い」に過ぎぬが、その当時は稚拙な「戒」も真面目に捉えられ信じられた。
政治と「平安仏教」は宗教そのものが統治手段の上で一体であり。
基本は山岳での「密教」による「修行」が基軸ゆえ庶民には縁遠いもので、
しかも「市井の庶民」は身も暮らしも救われる事など全くなく、
疫病の中でも搾り取られ毟り取られ打ち棄てられるだけの存在でしかなかった。
それを打ち破ったのが比叡山で修行(学んだ)した俊英の「法然」であった。
統治の手段であり、民が救われぬ宗教では存立する意味がないと「専修念仏」を分かり易く唱え、
爆発的に民の間で支持を増やし急速に発展した。
その基本は、ただ「南無阿弥陀仏」を唱える事で全ての人は救われると。
それは「善人は固より、例え悪人でも救われ極楽往生できる」と。
この分かり易い教義は立ち所に燎原を焼くの火のように拡がり大きな勢力となった。
これら「法然」を軸にした大きな流れは、時の権力者「後白河上皇」の逆鱗に触れる事になる。
後白河上皇は、比叡山の座主「慈円」を促し「専修念仏」を亜流であり禁止せよと迫るが、
基本的に時の関白(内閣総理大臣)九条兼実も「法然」の「専修念仏」を受け容れており、
実は禁止する事は容易ではなかった。
折から京都を支配するのは平氏であり、
世相の統治は複雑で容易ではなかった。
一部の学僧が独特の理論(理屈)で自身のために身を固め、
高邁な理屈を振り撒き、統治の一部を成し権力と一体化する事で自らの安寧を図っていた事が足下から崩れる事態を生み始めた。
いわゆる「鎌倉仏教」は、瞬く間に「市井の志民」の間で布教は支持され急激に広まった。
法然は1175年に開宗
親鸞は1223年に開宗?
日蓮は1252年に開宗
いずれも統治者から弾圧され放逐され禁じられている。
しかしながら、
何れも「禁教」とされた苦難を乗り越え「市井の志民」に広く支持され現代まで脈々と維持されてきた。
例え崇高な教義であっても、
小難しい小理屈を並べたてても、理解されず本質的に支持されぬものは、
何れであれ汎く普及する事はない。
分かり易く説法を重ねる側を「呪詛」しようが、
それを信仰し受け容れる側は「世界が違う」と距離をおかれる事になり。
同様に偏狭な「戒」で人の心を支配し、
それを以て政治権力の源泉とするような宗教は、一時的に権勢を誇り絶頂に達しても、
やがて衰退するのが世の歴史が示す常でもある。
世界の何れの地域や国であっても、
宗教が国の権力を支配してはならないし、国が特定の宗教を支援し保護してはならない。
偏狭であればあるほど排他性を高め非妥協性を強め、
政治権力と一体化する事で社会を歪め政治を醜く歪める。
日本の政治も、特定の宗教団体が巧妙に姿を変え、政治権力に近づき徒党を組み、公然と威迫しながら政治を歪めた状態へ陥れている。
行く川の流れは絶えずして、しかも元の水にあえあず、淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし。
よく弁えよ!
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