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2025/06/03

宮城野親方こと元横綱「白鴎」は、日本相撲協会の処遇(弟子の暴力事件による部屋閉鎖が解除されず)を不満だと、協会を退職する意向が漏れ騒動に

元・横綱「白鵬」 宮城野親方は、
日本相撲協会を退職するという。

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まぁ、果たした内容も特段のものはあるが、


今後の役割も期待されながら、基本的には「日本相撲協会」は、
基本が、職人が連合する『ギルド組合』であり、その内部規定や、約束事を守りながら、
国技としての相撲を守り伝承し普及させる事を特徴とする団体だ。


何よりも神事とする「国技」の普及を最大の使命としている。


「日本相撲協会」は、その特技を保つ職人の申し合わせ団体で、
所属するそれぞれの親方が「株主」でもあり「相撲組織の経営者」でもあり、
基本的には組織構成員が約束を守り合う事で成立している。


不自由もあろうが、制約もあろうが、不満はあっても、
しかし根源を遵守し合う事により組織は成立するのです。


不満があっても、改革したい事は、議論し積み上げ結論を得る以外に途はない。
如何に大横綱「白鵬」でも、それは無理な事だ。


「白鵬」としては、苦しい時にも自らは責任を果たし、横綱として大相撲を守り抜いてきたと。
その自負を誇りに思い考えるのは「人」として自由であろう。


大相撲は、日本の歴史(有史)と共にあり、日本人の生活(くらし)と共に支持され、力士は尊敬されてきた。
単なるスポーツではないのだ!

「白鵬」が誇り自負する一時は、長い悠久の歴史における一端でしかない。
その「学び」や「尊敬」が根本的に欠落している。


その制度また基盤や歴史が気に入らず、受け入れられないと言うなら、
例え「白鵬」でも仕方がない。


引用開始→ 元白鵬、相撲協会を退職 周囲慰留も翻意せず
(時事通信 運動部 2025年06月02日 18時15分配信)

 日本相撲協会は2日、大相撲で歴代最多となる45度の優勝を遂げた元横綱白鵬の宮城野親方(40)=本名白鵬翔、モンゴル出身=が提出した退職願を9日付で受理すると発表した。宮城野部屋の力士は当面、伊勢ケ浜部屋が継続して預かる。宮城野親方は9日に東京都内で記者会見する見通し。

 相撲協会によると、同じ伊勢ケ浜一門の理事、浅香山親方(元大関魁皇)らが宮城野部屋再開への道筋を示して慰留したものの、翻意しなかった。

 元白鵬は昨年2月、弟子の幕内北青鵬の暴力事案により、委員から無役の年寄へ2階級降格などの処分を受けた。その後、師匠の立場を外れ、宮城野部屋は閉鎖された。

 弟子の伯桜鵬らと共に伊勢ケ浜部屋に転籍。宮城野部屋復活に向け、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)らから指導を受けていた。伊勢ケ浜部屋は、師匠の元旭富士が7月に65歳の定年を迎えるため、元横綱の照ノ富士親方が9日付で継承する。

 元白鵬は2007年夏場所後に22歳で69人目の横綱に昇進。少年相撲の国際親善大会「白鵬杯」を主宰するなど、相撲の普及や慈善活動にも取り組む一方、現役時代終盤の粗暴な取り口や不適切な言動で批判を浴びた。21年9月の秋場所後に引退。後進の指導に当たっていた。
 2000年代に入って元横綱3代目若乃花の藤島親方、元横綱の曙親方が相撲協会を退職。朝青龍、日馬富士の両横綱は不祥事の責任を取って引退し、元横綱の貴乃花親方は18年に協会を去った。 

 ◇宮城野親方の略歴
 宮城野 翔(みやぎの・しょう) 元横綱白鵬、本名白鵬翔、モンゴル出身、40歳。宮城野部屋から01年春場所初土俵。04年夏場所新入幕。07年夏場所後に22歳2カ月で69人目の横綱に昇進。09年と、63連勝した10年は史上最多の年間86勝。幕内1093勝と優勝45回は歴代最多。19年9月に日本国籍を取得した。21年秋場所を最後に引退し、年寄「間垣」として部屋付き親方に。

 22年7月、師匠の宮城野親方(元幕内竹葉山、本名田崎誠)と名跡を交換して部屋を継承。24年2月、元幕内北青鵬の暴力問題で委員から無役の年寄へ2階級降格。宮城野部屋は当面閉鎖となり、弟子と共に伊勢ケ浜部屋に転籍した。←引用終わり


引用開始→ 元白鵬、深まっていた協会との溝 「辞めさせたいんでしょ」―大相撲
(時事通信 運動部 2025年06月02日 20時46分配信)

 角界にとって大きな損失だろう。元横綱白鵬の宮城野親方は表面上は退職を否定しながら、腹は決まっていた。当初から慰留に努めていた関係者によると、決断の背景にあるのは日本相撲協会への強い不信感。両者の溝は深まる一方だった。

元白鵬、相撲協会を退職 周囲慰留も翻意せず

 弟子の暴力問題で宮城野部屋が「当面閉鎖」となってから1年余り。この間、閉鎖解除へ相撲協会がなかなか動かなかったのは、粗暴な取り口などで物議を醸した現役時代終盤の振る舞いが影響した印象も。本人は不当な扱いを受けていると感じ、もどかしさを募らせながら、「協会は俺を辞めさせたいんでしょ」と漏らしたこともある。

 部屋再開のめどは立たず、新弟子も取れない。部屋付き親方の立場では協会から力士養成費などが支給されず、収入は激減。後援者離れもあり、元白鵬の基盤は弱体化した。

 部屋閉鎖に伴う転籍先の師匠、伊勢ケ浜親方(元横綱旭富士)は7月に65歳の定年を迎えるため、モンゴルの後輩に当たり、折り合いが悪いとされていた照ノ富士親方(元横綱)が伊勢ケ浜部屋を継承する。同一門の大先輩である元旭富士に相撲部屋の師匠としての指導を受けるという処分の大義名分も成り立たなくなる。

 八角理事長(元横綱北勝海)は、元旭富士の定年後の元白鵬らの扱いについて同一門の理事、浅香山親方(元大関魁皇)が預かるように指示。11月の九州場所後に処分が解除される道筋が示されたものの、本人の決意が揺らぐことはなかった。

 2011年の八百長問題発覚で存続の危機に直面した国技を一人横綱として支えた。主宰する「白鵬杯」では、後進の育成や競技普及にも取り組んだ。記録にも記憶にも残る横綱白鵬の技と思考力を継承できない状況は、ファンにとってもやり切れない。←引用終わり

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