祇園祭に思う事:市井に生きる人は、ほぼ毎日「死」と直面し、人は古来より自然に「生きる希み」と「生きた感謝」を大切に必死に生き延びる事に格闘し
京都「祇園祭」とのアレコレ:
「祇園祭」(前祭)は宵山が佳境です。
蒸し暑い夜半のひとときを、
それぞれの山鉾の祇園囃子を聞き分けながら「風情」を愉しむ事や、
日本(京都)の社会が静かに保ち伝えてきた「しきたり」に支えられた「文化」を味わい愛でながら、
その「ゆかしさ」や「ふかさ」を体験し、
今日まで伝え守り抜く「智恵」の「大きさ」に触れて頂ければと。
「伝統とは、環境や条件に合わせ、
本質を変えたり捨てる事なく、必要な変化や修正を加え、図りながら "本質" を守り、伝え遺す知恵と技術」です。
「祇園祭」は、祭礼の期間(陽暦7月)だけに関わらず、
様々な分野で、様々な人が、日々にわたり切磋琢磨し、
技を磨き、道具を改良し、作法を改善し、人を導き、社会全体の調和を計っている」とも言えるワケで。
その意味で、よく言われますが、
「京都は、年中、どこかでお祭りがありますね」に通じるかも。
古来、
市井に生きる人は、ほぼ毎日「死」と直面させられ、
生き延びる事に「必死」だったともいえ、
その意味で、朝に「生きる希み」を願い奉り、夕べに「生きた感謝」を捧げ祀る。
自然な「生きる希み」と「生きた感謝」こそが。
自然神を軸にした、極めて平和な「個」と「神」の相互性を軸にした信仰を大切にしてきたのです。
個々の人が生きる事が「自然と一体化」した「信仰」そのものであり、
自らが生き、生きた事を感謝する無理のない「祭」に包まれ日々を生きたのではないかと。
祇園祭は、
旧い社会習俗が創り上げた「晴れの日」であり、
自然神への感謝を込めた祭礼は、できるだけ美しく飾り上げ感謝を示し祀る行為として体系化され、
整えられ伝承され奉じられているのです。
夕夜に「夕立雨」に見舞われても「宵山」は行われます。
お越しになえい、体感下さいますとありがたく存じます。

(四条通に並ぶ「月鉾」「函谷鉾」「長刀鉾」の宵山写真は、山鉾連合会から借用転載)
多くの人に尋ねられるのですが、
「洛中はおろか京都市内に生まれたワケでもなく、出生し生育した地は播州は姫路でしょ?」
「また、棲まい地でもないじゃないですか?」
「なぜ、そこまでディープな事(入れ込み)なのですか?」と。
思えば、左京区は百万遍の近くに産まれ育った友人があり、
その友人とは、彼の就業先で知り合いました。
彼は、中学・高校・大学と一貫して今出川で学び、
彼の友達は山鉾町が拡がる「室町」や「新町」に厚く豊かな人の輪を保ち、社会で長じた後に、
お約束どおり「JC」を経て「RC」の会員になり。
その妻女は、
東京でのBIZを強化するために採用した人物で、山脇学園を終えた修えた大岡山の才媛でした。
そんなこんなで、家族ぐるみの長い付き合いになり、
ある時、彼が所属する「RC」の周年事業に、京都RCの大ボスの宗匠が来賓出席され、
その際に紹介を受け、日を改めて宗匠の下をお訪ねしました。
いくつかの話で、
以降も協力し合える事をと約し、加えて「RC」への参加を促されました。
そんなこんなの状況から、既に約40年以上の歳月が流れ、
いつの間にやら静かな部厚い人の繋がりができました。
祇園祭で別の山鉾をお世話する別の友人(大学の2年後輩)とは、
それら一連の流れから知り合い、交流が深まりました。
その縁(紹介を受け)に因り、
祭衣裳を整え修復し、新たな創作に携わる職人芸術家の友人を得る事が叶いました。
その友人も後に分かった事ですが、吾が方の「秋季例大祭」の祭礼衣裳の修復保全や一新する新規の衣裳を、
手掛けている事が判明し、急速に距離を縮めたワケです。
勿論、如何に直接的に信頼し尊敬し合う関係性を築いたとしても、
従来の仕事の傘下ルート(ヒエラルキー)を跳び超え破る事は致しません。
(それが手仕事の基本です)
以降、20年を超える厚い信頼関係が構築されたも言えます。
そんな、こんなで、洛中では室町・新町・壬生に、嵯峨に工房を置く知人や顔馴染みの輪が広まり、
京都の人の輪が自然に形成され厚みを増したのだろうと思います。
しかしながら、
その人の輪を「現実の仕事や業務」で利活用する事はありません。
それは「同窓会」や「RC」または「LC」などの非営利の親睦組織や社会奉仕活動を、
自身の利益のために利活用して功を成そうとする人は、
必ず怨嗟から足下を掬われ灰燼に帰するのが教訓でもあるためです。
「情けは人のためならず」なのでして・・・
必要以上に、入り込まない、踏み込まない。
京都でのディープな付き合いと人の輪を平穏に大切に維持する、
社会的に守り合うべき普通の事かと。
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