佛教は偉大な哲学といえますが! 日本社会の差別や区別を指摘した処で、釈尊が誕生したインドでは「カスト制度」に基づく格付けを克服できずだ
8月に入り「盂蘭盆会」を迎える準備も多忙になる時期に、
親しい知人の招きを受け寺院を訪ね、小学や中学の頃の話に花が咲き。
知人は、今も佛教学の一端を披瀝し講義しているらしい。
ムカシのワルガキが、死後の世界について訊き、
知人は、
「極楽には三悪趣 (餓鬼道・畜生道・地獄道)」は存在しないと応え。
例えば、
悪人も善人もない世界で、全てのものは救われると説き。
それに対しムカシのワルガキは、
「生きている毎日は " 地獄 " のような毎日だ」と言い、
「極楽浄土に辿り着けば " 地獄 " のような苦しみから救われるのか」と。
「毎日が、追い立てられる状況こそ " 地獄の苦しみ " だ」
「死んでまで、追い立てられ " 地獄 " が続くなら救われない」と。
知人は、静かに
「 " 地獄 " は、現世を生きる上での " 戒め " であり、あらゆる生命は、その生命を終えた後、阿弥陀如来により極楽へ導かれる」と説いていた。
「それは、現世で罪もなく塗炭の苦しみに喘ぐ世界で生きる事を強制された人が、来世(死後の世界)でも同じ事を強制され填められるなら、
それこそ救いはなく " 無間地獄 " の世界から逃れる事はできず、本当に救いはない」
「死後の世界では、" 善人は固より、況んや悪人こそ救われ " 極楽浄土へ導かれる」と、人の小さな性などを遙かに超えており、
差別や区別のない佛教の平等を述べていた。
最も短い
「四弘誓願」に、
衆生無邊誓願度
煩悩無盡誓願断
法門無量誓願學
佛道無上誓願成 とあり。
改めて思い考えると、
佛教は人を包み込む壮大で偉大な哲学だとも感じたワケで。
故・梅原猛先生は「草木国土悉皆成佛」を指摘されていたなぁと。
極楽浄土では迦陵頻伽 (かりょうびんが)などの美しい共鳴鳥や穢れを寄せ付けぬ蓮の華に囲まれる「理想の世界」を見せ。
「静寂な「月陰」に照らされる自身を観よ」と・・・
(迦陵頻伽 [かりょうびんが]は、Wikiから)
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