多くの点で巨星であった茶の大宗匠が逝去され言葉なく・・・ 知人は惜しみながらも盂蘭盆会に没されるのは静かに天寿を全うされたのだと
大宗匠がご逝去されたとの訃報に接し、
言葉がありません。
友人が会員のRCで周年記念事業へ招待され出席した際に、
ご紹介を受け、気軽にお話を賜り交わす機会に恵まれました。
それを受け、
「日を改めて、お越しになりませんか」との事になりました。
躊躇しておりました処、近習の方からお電話を頂戴し、
それを受け、お伺いする事になり、様々なお話を親しく交わさせて頂き、
何より無上の喜びと大切に了っております。
それを機に、過分なお引き立てを賜り、恐縮至極に存じ上げております。
突然の訃報に言葉もございませんが、
心穏やかに、
「深甚より、靖らかなる、ご冥福をお祈り申し上げます」
「ありがとうございました」
引用開始→ 茶道 裏千家の前家元 千玄室さん死去 茶の湯文化の発展に尽力
(NHK 2025年8月14日 14時39分)茶道 裏千家の前の家元で、茶の湯文化の発展に尽力し、文化勲章を受章した千玄室さんが14日、呼吸不全のため亡くなりました。102歳でした。
千玄室さんは茶の湯の三千家の1つ、裏千家の14代家元の長男として京都市に生まれ、昭和39年から平成14年まで40年近くにわたって15代家元を務めました。日本の伝統文化の茶の湯の発展に貢献したとして、平成9年に文化勲章を受章したほか、世界各国の大学で茶道の講座を開設するなど、海外での茶の湯文化の普及にも力を注いできました。
また、旧日本軍の特攻隊員だった自身の戦争体験から、国内外で献茶を通じて世界の人々と平和を訴える活動を生涯にわたって続けました。
裏千家によりますと、千玄室さんはことし5月に転倒して腰を強く打ち、京都市内の病院に入院していましたが、14日午前0時半すぎ、呼吸不全のため亡くなったということです。
102歳でした。←引用終わり
引用開始→ 茶道の役割とは何か…京都、関西、日本文化の発展願い続け 裏千家十五代家元・千玄室さん
(産経WEST 2025/8/14 18:06)今の世の中で、日本の伝統文化である茶道が果たすべき役割とは何か-。
裏千家の承継者として自らに問い続けた十五代家元の千玄室さんは、茶室にとどまらず茶碗一つで国内外を回る“外交官“として活躍。晩年も2025年大阪・関西万博の誘致や文化庁の京都移転などに精力的に取り組み、日本のブランド力向上や古都の文化発信に大きな足跡を残した。
「日本のお茶は相手の目の前で点てて『どうぞ』と差し上げることで、人の心をぐっと引きつける。特使に選ばれたのも、お茶が人をつなぐ力に期待されたからでしょう」
万博の誘致活動が行われていた平成29年秋、海外からの支持獲得を目指して外務省から誘致特使の一人に任命された玄室さんは、茶の湯が持つ国や人種の別を問わない魅力を、こう語っていた。
1970(昭和45)年の大阪万博には裏千家の当代家元として参加し、会場に設営した茶室で自ら茶を振る舞った。訪れた外国人らからは敗戦から立ち直った日本への大きな反響があったと振り返り、2025年の万博誘致も自ら提唱するスローガン「一盌(わん)からピースフルネスを」を胸に、実現に奔走した。
大学の特任・客員教授、外務省参与、日本・国連親善大使、日本馬術連盟会長など多彩な顔を持ったが、生まれ育った京都という土地や古都が長年育んできた歴史文化への思いはひときわ強かった。
中央省庁の地方移転を巡っては、京都府や京都市でつくる文化庁誘致の協議会顧問に就き、地方創生などの日本の未来のためには必要不可欠だと訴えた。文化庁移転が正式決定した際には「京都人ひとりひとりが文化に親しみ、創造・継承していくことを念願している」と喜びを表現。茶道をはじめとした日本の文化がさらに発展することを、誰よりも願っていた。←引用終わり
引用開始→【訃報】千玄室さん死去 茶道裏千家前家元、102歳 文化勲章「一盌からピースフルネスを」
(京都新聞 2025年8月14日 11:47)茶道裏千家の前家元で文化勲章受章者の千玄室(せん・げんしつ、斉号鵬雲斎=ほううんさい)さんが亡くなったことが14日分かった。102歳。京都市出身。葬儀・告別式は未定。
1923年、十四代家元碩叟(せきそう)宗室(無限斎)の長男として生まれた。学徒出陣で太平洋戦争に出征、海軍少尉に任官し、徳島海軍基地で特攻訓練を受け、出撃直前に終戦を迎えた。復員後、46年同志社大を卒業、米ハワイ大でも学んだ。49年に後藤瑞巌大徳寺管長の下で得度、64年に家元を継承し十五代宗室を襲名した。2002年12月、異例の在世継承で長男の十六代坐忘斎に家元を譲り、玄室を名乗った。
死を覚悟した戦争体験から、戦後、お茶を通じて世界の平和協調を願い「一盌(いちわん)からピースフルネスを」を提唱。1951年の米ハワイ訪問以来、世界約70カ国を300回以上歴訪し、茶道の伝える「和敬清寂」の理念による平和精神の普及活動を行った。38カ国・地域に113カ所の海外拠点を整え、茶道留学生も受け入れた。
96年には中国・敦煌の莫高窟で、2000年にはドイツ・ベルリンの壁跡地で献茶式を行うなど、世界各地の戦乱や和平を象徴する場所に献茶する国際平和活動を続けた。中でも同年と10年、23年には、米ニューヨークの国連本部で世界平和を祈念する献茶式と茶会を開催、総会に出席する事務総長や各国代表者らをもてなし、平和の心を強く印象づけた。
11年には太平洋戦争発端の地、米ハワイ真珠湾のアリゾナ・メモリアルで、強く望んでいた戦没者追悼の献茶を行い、恒久平和を祈った。12年には国連ユネスコ親善大使となり、国内外の文化保護にも心を砕いた。
1973年藍綬褒章、80年紫綬褒章を受章。94年には勲二等旭日重光章、97年に文化勲章を受けた。←引用終わり
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