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2025/08/06

日本が知恵なく引き起こした狂気のWWⅡは、戦場にした各国にも甚大な被害を与えたが、日本国内にも比喩できない戦争被害を撒き散らしたのは事実だ

2025年8月6日は、WWⅡでUSが史上初めて核兵器「原子爆弾」を広島市へ投じて80年に当たる日だ。


日本を席巻し支配し、一切の「異論」を赦さなかった当時の日本。
日本の国家権力を簒奪し続け狂気の居座りで、日本を狂気支配した狂った偏狭な日本軍の参謀ドモが引き起こした事も事実だ。
東京大空襲、沖縄の地上戦、広島への原爆投下、長崎への原爆投下、これを引き起こしたのは日本軍の狂った参謀本部(大本営)だ。


当時の日本を支配した日本軍閥が勝ち目なくも「降伏」しないため、降伏を促すための手段として用いたとUSは正当化している。
基本は、軍事も非軍事もない「無差別攻撃」であり、戦争終結を目的としたと如何に主張しようとも赦される行為ではない。


1945年3月10日の東京大空襲も、同様に「無差別爆撃(攻撃)」であり、
如何に敗戦したとはいえ、東京(3/10)、広島(8/06)、長崎(8/09)への無差別爆撃(攻撃)が軍事裁判で責任訴求され捌かれる事もなかったのは、
人類の生存に対する侮辱であり、人の尊厳に対する最大の侮辱であり、間違いを指摘し糾弾する。


正当に議論すらしなかった事で、怒鳴る怒・トランプのようなゴミが正当な行為だと主張して恥じる事もないのだ。


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人として
「原爆を許すまじ」
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は、当然の事であり話である。


引用開始→ 広島原爆で「10万人犠牲」 軍の初期推計資料を公開―米民間機関
(時事通信 外信部 2025年08月06日 08時42分配信)

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 【ワシントン時事】米ジョージ・ワシントン大の「国家安全保障アーカイブ(NSA)」は5日、広島への原爆投下から80年に当たり、複数の機密解除済み公文書を新たに公開した。投下2日後に犠牲者数を「少なくとも10万人」と推計した米軍の初期分析などが含まれている。

 「ヒロシマ・ミッション」と題した文書は、1945年8月8日付で米陸軍航空軍が作成。市街地は建物の残骸すら見えないほど徹底的に破壊され、「ヒロシマはもはや存在しない」と描写した。「最も控えめな推計」として、10万人の市民が「(旧日本)軍の指導者により不必要に犠牲になった」と記している。

 広島市は原爆投下後、45年末までに約14万人が死亡したと推計している。←引用終わり


引用開始→「数万の人々が白い灰に」 核廃絶へ実相伝える―原爆孤児の飯田さん・広島
(時事通信 社会部 2025年08月06日 07時04分配信)

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被爆者の飯田国彦さんが作った広島原爆の惨状などを英語で伝えるリーフレットの一部=7月22日、広島市
 「数万の人々が白い灰となって飛散した」。3歳の時に被爆し、一緒にいた母と姉を失い孤児となった飯田国彦さん(83)=広島県東広島市=は、原爆の実相を伝えることを自らの「使命」と決め、語り部活動を続けている。6日で被爆80年。「まだ伝えられていない。真実さえ伝えられれば核兵器廃絶につながる」と力を込める。

 1945年8月6日、3歳だった飯田さんは、母の稔子さん=当時(25)、姉の真基子さん=同(4)=と共に爆心地から約900メートルの稔子さんの実家で被爆。ピカッと閃光(せんこう)が走り、飯田さんは畳と一緒に吹き上げられ、顔や腕にはガラスが突き刺さった。3人とも体は変色し、髪が抜けた。約1カ月後、身を寄せていた母の従姉妹の家で母と姉はともに足から壊死(えし)して、逝った。

 「『お母ちゃん』と呼ぶと『くにちゃん』と返事が返ってきていた。そのうち返事がなくなった」。父は沖縄で戦死しており、飯田さんは原爆で孤児になった。その後育ててくれた祖母も2年半後に亡くなり、今度は叔父夫婦と暮らした。ガラスが刺さった傷がふさがるのに7年かかった。80歳を過ぎた今も不意に子ども返りして「お母ちゃん助けて」と声が出ることがあるという。

 飯田さんは工業高校卒業後、技術者として重工業メーカーに入社。退職後、70代前半で広島市の「被爆体験証言者」になった。

 「果たしてどれくらいの人が広島原爆の実相を知っているだyろうか。実相を知らなければ、核兵器廃絶の必要性が分からない」。講話では、自身の体験だけでなく、爆心地や周辺の惨状を伝えている。爆心地の地表温度は3000~4000度に達し、周辺では「数万の人々が白い灰となり、爆風で飛散した。遺骨収集は困難だった」と説明。橋の上や川などに皮膚がはがれた遺体があふれたことや、餓死した孤児が多くいたことも話し「今後絶対に、このような非人道的な悲惨な被爆者を出してはならない」と訴えている。

 飯田さんは、外国人観光客らにも直接伝えようと英会話教室に通う。講話の合間に原爆ドーム周辺などで話し掛け、建物も人も吹き飛ばされたことを伝えている。英語のリーフレットも作り配っている。

 世界情勢が不安定化する中、広島原爆の威力をはるかに上回る現在の核兵器が使われたら、と危惧する飯田さん。「核兵器廃絶による世界平和を成し遂げなければならない」。その思いを強くし、実相を伝えることに熱意を注いでいる。←引用終わり


引用開始→ 6日、広島原爆の日 80回目、対話での安全保障訴え
(時事通信 社会部 2025年08月06日 00時12分配信)

80回目の原爆の日を前に、原爆ドーム前で行われた鎮魂と慰霊のための「かがり灯」=5日午後、広島市
 広島は6日、80回目の原爆の日を迎えた。広島市中区の平和記念公園では、午前8時から平和記念式典が開かれ、被爆者や遺族、石破茂首相らが参列し、犠牲者に祈りをささげる。松井一実市長は平和宣言で、世界で加速する軍備増強の動きに触れ、「対話」による安全保障体制の構築を訴える。

 式典には過去最多となる120の国・地域と欧州連合(EU)代表部が参列する見通し。中国やロシアは参列しない一方、日本政府が国家と承認していない台湾とパレスチナが初めて参列する。

 松井市長は平和宣言で、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)の代表委員を長年務めた広島の被爆者坪井直さん=2021年に96歳で死去=の口癖でもあった「ネバーギブアップ」の言葉を使い、平和への思いを伝え続ける重要性を訴える。

 その上で、ロシアによるウクライナ侵攻や中東情勢を受けy、「自国を守るためには核兵器の保有もやむを得ないという考え方が為政者の中で強まりつつある」と指摘。核廃絶への思いを市民社会の総意にするための活動を若い世代が先導することを期待するほか、世界の為政者に対し「対話を通じた信頼関係に基づく安全保障体制の構築」を呼び掛ける。

 日本政府には、核兵器禁止条約の締約国となることや、在外被爆者を含む被爆者支援策の充実を要請する。

 前日の5日夜には、原爆ドーム前で鎮魂と慰霊のための「かがり灯」が行われた。

 厚生労働省によると、今年3月末時点で全国の被爆者健康手帳を持つ被爆者は9万9130人と、初めて10万人を下回った。平均年齢は86.13歳。←引用終わり

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