学校教育というか「基礎教育」は、どこまで国の統率を認め共有するかが問われていますが、明治政府は地域毎に尋常小学校の設立を煽り競わせたのだ
日本の教育について:
今は、小中学校が義務教育で、それを担うのは基礎自治体が提供する「公立学校」が中心で、
いずれの基礎自治体にも教育長と教育委員会があり教育委員長を任命し、公立学校を指揮管理している。
更に、小規模な基礎自治体の組織能力や財政能力を考え、都道府県が上位に位置し指揮管理する仕組みだ。
固より、行政そのものが都道府県は国(総務省)の指揮下にあり、教育行政は文部科学省が統率している。
しかしながら、
基礎教育の基本は、地域社会が「資金」を出し合い、地域の子供達のために地域が設立した、基本は「私立学校」であり、
それが基本だったゆえに「学区制」が設けられ厳密に維持されてきたといえる。
最初の小学校は基本が「尋常小学校」で、読み書き算盤の習得だったのでは。
基本的に、文部科学省は様々な規制し統率しているが、
個々人のニーズは違うワケで、どこまで統率統一を容認するのか?
いま、その点が問われているのではないかと?
引用開始→ 福沢諭吉も感激 国家に先駆けて…京都の町衆が創設した「番組小学校」とは
(産経WEST 2017/10/20 06:00)板張りの廊下に、ガラガラと音を立てる引き戸。中を歩くと、どこか懐かしさを感じさせる施設が京都市内のあちこちにある。京都市学校歴史博物館(下京区)、京都国際マンガミュージアム(中京区)、漢字ミュージアム(東山区)などだ。これらはいずれも廃校になった小学校の校舎やグラウンドを再利用している。なぜ、こんな施設が京都に多く残っているのか。歴史を振り返ると、明治以降の国家による学校制度に先立ち、町衆たちによる自治組織の手で創設された「番組小学校」という京都ならではの制度があった。
幕末動乱で京都は衰退
「衰退してゆく京都から新時代を担う人材を育て、かつてのにぎわいを取り戻す。そのために創設されたのが『番組小学校』でした」京都の学校教育の歴史を扱う京都市学校歴史博物館の学芸員、和崎光太郎さんは、番組小誕生のきっかけについてそう語る。
番組小学校の歴史は約150年前にさかのぼる。当時の京都は幕末期の動乱による大きな混乱のまっただ中にあり、衰退の一途をたどっていた。
幕末期の元治元(1864)年、京都を追放された長州藩が繰り広げた市街戦「蛤御門(はまぐりごもん)の変」に伴う大火事で、京都の町は民家や社寺が焼き尽くされる壊滅的な被害を受けた。さらに明治維新後の明治2(1869)年、京都から東京への遷都が行われると、天皇とともに公家らが多く東京へ移り、衰退に拍車がかかった。
そんな状況で、寺子屋を営む教育者、西谷淇水(にしたに・きすい)が教育による復興を掲げたのだ。
日本初の学区制小学校
西谷は遷都の前年8月、小学校設立計画を京都府に提出し、室町期から続く「町組」と呼ばれる自治組織ごとに小学校を建てることを計画した。市民有志、当時の京都府を合わせた3者間の協議を通じて小学校設立の青写真が描かれた。これを受けて明治2年、府が町組を再編し、計66の「番組」が成立した。小学校の建設が急速に進み、同年5月、上京と下京に1つずつ小学校が開校すると、年内には全ての番組で番組小学校ができた(合同で設置した番組があったため、学校数は64)。
こうした試みは、明治5年の明治政府による「学制」創設に先立つもので、番組小学校は「日本初の学区制小学校」とされる。
市民有志の寄付で建設
番組小学校は原則、有志の寄付で建設され、各世帯から集めた資金で運営された。人々が、京都の再興には教育による人材育成が不可欠だということに理解を示し、協力したことがうかがえる。市民が参加した教育現場を見た福沢諭吉は明治5年、感動のあまり、『京都学校記』にこう記した。
《民間で学校を設けて市民を教育しようというのは、かねて抱いていた志だった。京都に来て実際に行われているのを見た喜びは、まるで故郷にかえって友人に会うようなものだ》
番組という名称は同年に「区」へ改められて無くなったが、番組を基とした学区はしばらく維持された。また、市民の生活は番組のルーツだった町組を基盤としていたことから、番組の区割りで物事を考えることも受け継がれていった。
市民の間では今も元学区として残り続けている。
学校に愛着、姿変えず再活用
もともと64校あった番組小学校は、学校制度の変更などで名称を変えながらも元番組小学校として続いてきた。だが、平成に入ると、京都市中心部のドーナツ化減少や少子化の影響で、統廃合の対象に。今も統廃合していない元番組小学校は4校を残すのみだ。そうなると、統廃合で閉校した学校の跡地活用が課題になる。かといって、市民の寄付などでつくられた小学校である以上、京都市としても勝手に事を進めることはできない。
「活用方法を考えるうえで何よりも重要視するのは市民からの声」と話すのは市資産活用推進室の担当者。「もともと市民の寄付金や土地で学校が運営されてきたという歴史的経緯があるので、学校への愛着がある市民が多い。再活用でも校舎を残してほしいとの要望が多く寄せられる」
その結果、市主導で生まれたのが、小学校のたたずまいを色濃く残す再利用という手法だ。元開智小(下京区)は市学校歴史博物館に、元龍池小(中京区)は京都国際マンガミュージアムに、元明倫小(中京区)は京都芸術センターに生まれ変わった。
民間巻き込み、ホテル展開も
一方で、市内中心部にあるまとまった土地は、民間資金を用いて再開発すれば税収増加に貢献するのは確実。そこで市は元弥栄小跡地(東山区)を対象に民間事業者を初めて公募した。その結果、昨年6月に「漢検 漢字博物館・図書館(漢字ミュージアム)」がオープンした。その後も、市はエヌ・ティ・ティ都市開発との間で元清水小(東山区)をホテルとして活用する基本協定書を締結した。
校舎の一部は取り壊さずに保存し、外観はそのままに内部を改修して地元住民が使えるようにする計画。京都・木屋町の繁華街にあるレトロな元番組小学校として知られた元立誠小(中京区)も最近、再開発方法が固まった。元清水小と同様、平成32年の完成を目指してホテルなどを含む大型複合施設のプロジェクトが進んでいる。
市資産活用推進室の担当者は「元番組小学校は地元にとって愛着や思い入れのある大切な場所。地元の方の思いに寄り添いながら、活用方法を考えなければならないと思っている」と話した。←引用終わり
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