1945年3月10日の「東京大空襲」、8月6日の広島、8月9日の長崎への原爆投下は、「人の尊厳を奪い去る」無差別攻撃で戦争犯罪として厳しく裁き断罪を
映画「この世界の片隅に」を観た。
WWⅡに敗戦し80年の夏に、
殆ど名もない普通の民が、普通に暮らす中で、どう「戦争」を捉え従い日々を如何に生き、
数々の数奇と相対し、果て、あるいは生き抜いたか、それを淡々と「こうの史代」が描いた至極の作品だ。
同じく、野坂昭如の手による「火垂るの墓」も、
戦争を直接描く事はなく、その環境や空気の中で、
依り立つチカラも喪った無垢な子供達が放浪し生命を喪っていった厳然とした事実を描いている。
「戦争」は、勢いに乗る側が、理由を付け「始める」のは、とても簡単な事で。
「戦争」を、始めてしまうと「停めようがなく」、周辺を含め何れかが悲惨な事態に追い込まれ、
より多くを喪った側が継戦できなくなるまで無慈悲に続く。
「止め方、停め方」を考えず、その時、その場の勢いだけで「戦争」を始めるモノではない。
(パレスチナでガザのハマスを観れば誰にも分かる事だろう)
決して勇ましくはない、反戦映画でもなく、
戦争と民の暮らし、政策と民の受け止め、誰もが犠牲になり生命を落とす。
それをアニメで淡々と描かれ、淡々と刻む記憶の記録で、至極の作品です。
司馬遼太郎の作品とは異なり、
愚民と足蹴にされても民の生きる事への本当の強さがあり、
同時に簡単に悉く踏み潰される弱き側の悲しさがあります。
戦争は、起こした側も、応じた側も、勝った側も、敗けた側も、
人の尊厳を破壊した事実について、犯罪は犯罪として裁かれ断罪され然るべきと考える。
機会があれば、ぜひ「ご覧下さい」と、お勧め致します。
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