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2025/09/30

既に手遅れでしょうが公教育のあり方を根源から考え直し、普通科高校と職業高校も大学と専門学校も社会的役割を考慮し組み直す時期でしょう

地域や教育の格差を考察の参考に。


基本は「情報格差」が原点にあるのではないかと考えた。
現代社会には様々な「情報」が真贋の別を含め飛び交っている。
飛び交う情報の殆どは、どうでもヨイ情報が大手を振っているのだが。
それでヨイと考えるヒトの大半は重要な情報に気付かず見落とすのであり、
見落としても生きて行く上で大きな支障はないともいえる。

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それは、生まれ育った環境にも因るが、気付かないまま時間や歳月の経過と共に、
周囲から言われるまま、奨められるまま進路を選択するのだが、
その際の選択基準も一過性の「ポエム」と「ドリーム」であり、常に消費される側に位置するのだ。


従って、
後期高等教育を受ける必要など皆無の人材が、確たる明確な意思もないまま、
奨められるままに狭い幾つかの選択肢から、専門学校や、沿線大学を選び送り込まれるワケで、


明確な職業意識もなく根本的に生活困窮家庭でないまま
ボンヤリと見映えがある先を選ぶのだろうと、経験上から受け止めている。


だいたい専門学校は「職業学校」なので、
その学び得た身に付けた技術が活きなければ、見栄以外に進学先として選ぶ意味など全くない。


親の世代から、ほぼ同様の見映えし見栄も張れる事が基準ではないか?


本当に、生活困窮者が生き抜く事を掲げるなら、
有効な専門職を教育する学校は「看護士」を育成し資格制度での裏付けができ、
社会での経験に基づき評価が定まる学校だろう。


フワァ~っとしたイメージだけの学校選択(進路選択)は、
最初の情報収集や情報評価の段階で終わっている。


明確な、人生の目標があれば厳密な条件の下に選択が為されるだろうが、
曖昧なままで見映えや見栄という、一過性に過ぎぬ目の前に立つ個人的満足で進路選択する時点で、
巨大な情報格差があるのだが、それに気付く事もない。あるいは気付いたとしても否定する感情が先に立つ。


常に、投じたカネの総額を含めモトが取れないような「学校選び」をしたければ、
すりゃヨイが自身の人生を消耗させるだけである。


かつて出講先の「服飾専門学校」は、
銀行ローンの奨学金制度があり、それで「授業料」などを間違いなく全額納付(口座振替)させていた。


経営的には、素晴らしい事ではあるが、2年~3年後に確かな「就業先」へ就け、
収入の安定がなければ生活そのものが成立しない。
現実に、安定したアパレルの就業先などなく、極めて不安定な「アルバイト」の掛け持ちで返済している事を本人から聞いた。
それは、体の良い詐欺ではないか?


詐欺罪は、詐欺を働く側が、
予め「騙そうとする明確な意思」を持つ事が犯罪の成立要件だから、
学校として「騙すつもりはなかった」などと抗弁すれば「詐欺罪」の摘要立証は難しい。
固より、そこまで争わないだろうとの思惑(見込み)が、明らかに隠れているが、
最初にどう考え、どう捉え、同種の専門学校や大学あるいは短大などの状況や情報を集め、
どう比較し検討したか、固より、その思考を進路指導する側の学校が持っているかが最重要だ。


その進路指導をする側の学校の理屈を言えば、
専門学校でもナンでも進学先を将来の目的もなく親子で喧しく求めて来るので、
見映えのする見栄を満足させ受け入れてくれる専門学校があれば、
無条件で推薦し「椅子」を確保する事が先決なので、それを保証してくれる先(専門学校や大学)なら、
ナンでも、何処でも良いのだそうである。


従って、明確な取組みテーマと教育目標を掲げる大学と、
取り敢えず喰うために学生を集めて茶を濁す場末の専門学校との教育格差は当然の結果ともいえます。


大都市域では、
中学校から私立の中高一貫校を選択する傾向が強くなっています。


先日の雑談でも交わしましたが、
公立学校の教育は「護送船団方式」で、最底辺でも分かり理解でき次第点を得られる事を前提にしています。
従って、それらを跳び越え学ぶチカラを持つ子供達いは気怠くやるせないワケで、
下校後は私塾へ通い自身の学力を磨くWスクールです。


いずれの都市にも、
結節点の駅前や中心地には私塾が開設され、多くの子供達が通っています。
それらの子供達の両親や家族は、公教育としての「公立小学校」の建前は大いに尊重しながら、
実質的には「No」と言っているとも言えます。


なぜ、私立中学の受験かと訊けば「公立の中学校」では、
地域の公立中学で相当程度の学力を維持できても、本当にできる子供達は、
その学校にはおらず、殆どが「私立の中学校」へ通い、地域の中学校には存在していない。


ゆえに、高校受験の段階でやや大きな母集団へ拡大された時点で、
当該地域でよくできた子が、大きな母集団ではBクラスの下位に沈む事になる。
(自ら、イヤという程ミジメな思いを経験した)


それに気付いた段階で、上位と競争しようとしても、
基礎段階での進み方が大きく異なるため、容易には追いつけず悔し涙をのんだ。
それを痛いほど経験した親は、自身の子供の教育に手抜かりなき事を考えるワケで、
高校受験よりも中学受験となったように眺めている。


これは大学の入学試験で、
いつも議論に上げたテーマだが、その大学のその学部の教育研究が目指す地平に応じた
「基礎学力」と「思考能力」で必要とするゴールを示し、
それを測定するのが入学者選抜でなければならないと指摘し主張し続けた。


「大学入学センター試験」は、総合的な学力の水準を計るのであり、
一定の水準にあれば「入学選抜試験の対象」にするための関門に過ぎない。
それ以上は様々な方法で、求める水準を満たす人材を選抜すれば良いのであり、
定型化する必要などないと考えている。


勿論、手間はかかる。
ところが、現代の大学入学者選抜試験は、そんな悠長な事など構わず実際は「1点」を争う熾烈さだ。

その「1点」に笑いと泣きが混在するのであり、
入学定員の枠を巡り著名大学に受験者が殺到し、偏差値が上昇する結果を生んだ。

たかが「1点」だが、人気校では、その「1点」が天地の開きになるのも事実で、
それを公立高校の受験指導は把握でききれず、河合塾、駿台、東進、四谷大塚、
鉄力会などが持つデータに頼る事になり、事実上、受験予備校が振り分けを差配するのが実態だ。


それを、中高一貫校で6年間にわたり爪を研ぎ準備しておくという考え方が、
ほぼ大都市及び周辺部では了解事項になっているらしい。
そこで「公教育」とはナンゾやという根底の問題に突き当たるのだ。


「最底辺」を切り捨てず、そこに合わせた「護送船団方式」の全体教育。
いやいや個々のニーズに合わせた教育を求めるが、公立学校の公教育では応じられないのなら、
手遅れになる前に私立学校が提供する教育水準に合わせた公教育を選択する事が進んでいるという。
確かに言いたい事は山ほどあります。


国立大学の附属小学校・中高一貫校の水準は図抜けている。
卑近な例では、経済再生担当の西村康稔大臣は、神戸大学付属明石小学校卒で、
灘五郷の灘高(中高一貫)卒で、東京大学卒で、後に官費で米国の大学院留学修了だ。 
おそらく明石市立錦江小学校では、どうなっていたか興味深いところだと言っておこう。

言うは易しですが、実に難しいですワ!
でも「1点」の争いは、小学校4年生の春(実際には小3の2月)から熾烈なバトルが始まっているのです。

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