JICAの「アフリカホームタウン構想」は害謀症がアホシンドの尻を掻き「TICAD(アフリカ開発会議)」をデッチ上げた15年がかりの工作結果に過ぎぬ
日本國の主権下にある領土領海領空へ入るには、日本國の許可を得て、法律に従わなければならない!
思慮分別のない人は、いずれの国でも、
系統だて時間軸を追いモノ事を捉え考えず直情的な行為や行動をとる。
これらの種類の人は、多くは、
「いま、目の前で生じた事を見聞きし、いま怒り、その組織代表に怒りを表し、終わる」のだ。
その時点で「溜飲を下げる」と満足してしまい、事の原因と、経緯や過程について考えない。
相変わらず、単純で、バカバカしく、ウワサに巻き込まれ、頑なに信じ怒りの拡散に同調し。
それで、事の本質が見えるわけでもなければ、本質に迫り解決できるワケでもない。
周辺で生じている漠然とした「不安」、その「不安」による、ナンとナイ「社会不信」が底流にある。
これは、いつの時代にも、どのような環境下でも、条件次第で「社会不安を爆発」させる。
情況が悪ければ時には「暴動」に発展する。
その事態を生まないのは「世論」の流れに敏感な事が求められる。
この度のJICAによる「アフリカホームタウン構想」は、
秘密裏に始め、基礎自治体(市町村ごと)自治体を押さえ込み、受け入れを同意させ、
第5回のTICAD(アフリカ開発会議)の目玉事業として、意気揚々と発表した事で大騒ぎになった。
何よりも「シーズ(種)を撒く」事の必要性が事前に広報され世論を造り上げなかった。
次に対象にした「基礎自治体」も十分な理解が進まないままで、地域社会の受け入れ準備など皆無であった。
事後もJICAは、説明も見通しも弁明すらせずに責任も明らかにせず放置した。
届けられた意見表明は、
真に興味深く、日本の中央政治が進めた結果が、如何に地域社会を侵食しているかを実際に示している。
引用開始→ 私の周りのコンビニも無いし地区にも外国人の住居は確実に増え、
ゴミ出しのトラブルや駐車場のトラブル町内会での活動のトラブル等々、
様々な形で問題化して来ております。
C国籍の人は日本人と判別のつかない苗字名前を名乗り、
どうもニュアンスが違うなと思い調べてみると
外国人登録証を所有されていて【それ自体は問題では無いのですが】他人の土地に無許可で車を停めて、
注意されると空いていたから…とJICAの理事長と同じく謝罪の言葉は無く、
ゴミ出しがルール通り行われていないのは、誰のゴミかわからないと思っていたとか…
総合的に考えて、移民を受け入れて様々な問題を起こして悩まれている他国を勉強して、
早期に対策を立てるベキだと思います。←引用終わり
引用開始→ J ICAが独自で決められるわけではないので、外務省ではないの?
岩屋大臣の考えそうなことで…
独立行政法人は管理省庁の指示でしか動きません。←引用終わりこの意見に対し
引用開始→ イヤイヤ、害謀大尽が岩屋の時になっただけで、これは、アホシンドがPMの時期の以前から、 アフリカへの視野と職種の機会を求めていた害謀症の起案で、既に15年ほどになります。 (アホシンドは中身がないため、肚に一物を持つカシコの官僚には都合がヨイので)一貫してJICA(北岡伸一が率い)、いまは田中明彦のチームが実務所管してきた案件で、
田中が東大から害謀症の人事でJICAへ転じに、より具体的な成案化にする事と
「TICAD(アフリカ開発会議)」として、アホシンドの政権人気に乗じ、
北岡伸一が菅義偉を誑し込み横浜で開催してから、既に5年(5回目)です。アホシンドの後継「スカスカ」も売名目的でアホシンドに横浜開催を進言し、
後を引き継ぎ「PM夕暮れキッシー」へ繋ぎ、更に「因幡の妖怪」へ結び、
この間に田中明彦の一派(北岡伸一の流れに忠実な)が着々と「目玉事業」として整えたと。いま、起きた事を、いまの時点だけで捉えると、
大きな穴に落ち「問題の所在が分からなくなり」ます。JICAらしいカシコのカシコゆえの墓穴ですが、
北岡伸一や田中明彦という東大の国際関係論学者や害謀症のクズ官僚は、
このような事で国のカネを略取して喜ぶクズです。アホノモウジャは、アホシンドにクチサケに対し熱狂しますが、
アホウはアホウで直ぐに罠を仕掛けられ陥穽に堕ちるのです。アフリカ諸国との事は、15年くらい前の中国が熱心で、
大量の留学生を引き入れていましたが、その生活習慣や価値観の絶対的な違いが引き起こす軋轢は多大で、
上海などで猛烈な排斥が起きていました。相互の無知が引き起こすワケですが、その観点や意味では「ホームタウン構想」は一日の長がありますが、
一つひとつを丁寧に進め受け入れに誤解の生じない
理解を相互に形成する努力をしなかったJICA田中明彦の救えない失敗です。日本では報道されませんでしたが、18年前に、求められ出講に観た上海の東華大学の周辺地域でも、
絶対的で埋めようのないアフリカ系の留学生への排外は強烈でした。
中国(上海)での、アフリカ系留学生への、感情的とも言える憎悪は熾烈でした。中国の指導部は、それを観て政権が持たないと考えたのか、
徐々にアフリカ諸国からの留学生を減少させ、アフリカ市場への関与も国としては薄めています。代わって、ロシアが進出しています。
この流れを観ていた害謀症は、15年前にアホシンドを焚き付け、
アホシンドのアフリカ歴訪を経団連の麾下の企業を同行させ実現し、
市場開発と投資を得ようと北岡伸一が考え、後継の田中明彦は描いたのです。いま、生じている事だけに囚われていると、本質が見えなくなります。
嫌われている岩屋は、たまたま害謀大尽であったワケで、根は深くオソロシイので。アホシンドはやはりアキレェ~をヨメにしてハシャグ程度のアホウ売国屋なので。
事態の本質を観るには遡って捉え考える事が必要不可欠です。←引用終わり
1997年7月に、
UK(イギリス)は香港の施政権を中国へ返還した。
九龍半島と新界にわたる地域が、99年の割譲専有租借条約が満了を機に、
香港島はイギリスが領有するため、そのまま保持しても問題はないのだが。
上下水道、電力、エネルギー、鉄道交通、情報通信、など、都市基盤の多くを九龍半島と新界地域に依拠するため、
イギリスが単独で香港島を領有し続けるのは無理があると判断した時の首相サッチャーは、領有する香港全域の返還に応じ、
名誉ある撤退を選択した。
その後、
我々も香港の拠点を九龍の茘枝[角(レイチコック)を退きシンガポールへ移した。
最初に、拠点を求め香港・九龍へ行った時に、
言われたことは「上から、ゴミが降ってきますから、気をつけて下さい」だった。
後で、知った事は、
その頃は、まぁ、上からゴミが降ってくる事はなかったが、
案内してくれたスタッフやガイドが子供の頃(1960年代後半)は「上からゴミが降ってくる」のは、
九龍も香港も問わず普通の事で、統治者としてのイギリスは、
中国人の下級官僚を叱咤激励し、香港領域で暮らす香港市民(中国人)に、
街の美化と安全また快適を喧しく取り締まらせたそうで、交通網も香港島のトラムだけでなく、
地下鉄網の整備、上下水道の整備、電力網の整備、通信網の安定拡充などに取り組み、大学教育を充実させたと。
中国人は、快適になるカネをイギリスが注ぎ込むのだから、
それを拒否する理由はなく、やがて(1997年には)イギリスは統治権を失うから、
彼らが建設する香港や九龍での都市基盤は、全て中国人のモノになるのだ。
あと、少しの辛抱をすれば「香港」は中国人の下へ戻るのだ・・・
(このように、言い合いながら、30年の歳月が流れるのを眺めたと)
この話は、日本の中心域から、僅か4時間西の場所での事で、
2時間西の場所にも、これ以上の話は山のようにあるのです。
(日本で暮らす日本人は、余りにも能天気でお気楽が過ぎると言いたい)
JICAは、アフリカのホームタウン構想を撤回したワケではナイ。
「煩い事になり、一度だけ引っ込めたに過ぎない」
ゆえに、取り組み方も進め方も反省なく、時期を観て再び挑戦すると、
バカな天上人「害謀症のクズ官僚」に飼われた前任者の北岡伸一や売国屋の田中明彦(JICA理事長)は宣べている。
激しい糾弾に値する唾棄すべきクズ学者でありクズ官僚だ。
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