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2025/09/04

先進国は途上国と中進国とは異なる政策課題があり、政策実現を進め多くが「開発独裁」の途筋を採るが先進国の政策は「最大公約数」になり軸がボケる

現在、
日本は社会経済で国内的には現状を維持するのに汲々とし苦闘を余儀なくされながら、
ナンとか踏み止まり高い質の社会構造を喘ぎながらも提供し維持しています。


「失われた30年」と、メディアが決めつけ、
政府の無策と政治の無責任を喧しく批判し非難しますが、
全ての責任は、メディアを含む国民の無知と無定見が造り出しているのです。


1945年の惨めな敗戦から、国土と社会経済を約25年で復興させ、
その後の10年は社会制度と社会資本の充実に取り組みました。


WWⅡの敗戦で多くを喪い、
なけなしの状態でも戦争被害の賠償にも取り組み、
周辺国の社会経済再建と国内経済の再建に取り組む明確な国家目標がありました。


それに応じた「政策展開」を為すことに大きな異論はありませんでした。
その意味で、国民は一丸となり国としての目標に取り組んだのです。


言いにくい事ですが、
1975年まで戦後の30年は、貧乏でもそれを分かち合い扶け合いつつ共存を探る社会でした。


しかしながら、
その後の10年(即ち1985年まで)は、
基本的な生活の基盤を支える「生活消費財」での「差別化」に懸かる「付加価値」が市場で求められるようになり、
この頃から様々な分野で「差別化」や「多様化」が不可避になりました。


「生活消費財」で生じた現象は「耐久消費財」へ波及し、
瞬く間に「市場は階層化」を模り定着させました。


やがて、
この「消費階層化」は、現実の「社会階層化」へ突き進み、
当然の事ながら異なる様々な政治要求に転じました。


「戦争賠償」を終えた後の「金融政策」は、
賠償原資を獲得するための「米国市場を軸にした輸出主導」から「内需主導」への転換を求められ、
様々な社会階層の要求に対応する「政策」の必要性から集約性を喪い彷徨う結果になります。


とりわけ「金融政策」は引き締めから急激な緩和に向かい、
市場に溢れ出した資金が歪な形で「土地建物」へ回り、いわゆるバブル経済の素を形成し、
持つ者と持たざる者を明確化し、幻想だった「平等社会」を崩壊させ、巨大な怨念が社会を覆い尽くしました。


日銀は急激な「金融引き締め」に出ました。


所謂バブル経済は終焉し、
結果として1995年頃には、日本全体が金融政策の失敗の直撃を受け「意気消沈」してしまいました。


1975年~1985年の頃に確立した基礎的な生活消費財が隈なく普及する社会から、
明確に国全体として共有でき優先すべき「政策」の合意ができない状況のまま藻掻いているのです。


これは政治の問題であり、
政策を議論できない政治家の問題であり、
それは社会を自身の問題として冷静に捉え考える事のできない国民の問題なのです。
(国民は多様ですが、集約し影響力を与える人は、どの国も3割程です)


政策の混迷は、
政治家の質であり、それを選出する民の質です。


世論の分裂は、
自覚のない民の質であり、それを煽るメディアの無責任と思考能力の低さに因ります。


いずれの国の、いずれの民も、
自らの国と国土にナニもなく、ナニかを造り出す切実な必要があれば、
物的に精神的に幸福感を追求し獲得するまでは「開発独裁」が許容され、
力強く推進する事で国家としてのエネルギーを様々な形で統合できるのです。


一定の国家を取り上げ評するには、
少なくとも、どのような社会経済の構造で、如何なる政治主導であり制度なのか、どの程度の発展段階にあり、
国家としての体制や先への俯瞰力はどうか。


それらの環境条件や、
人口構成、あるいは年齢構成、社会制度を押さえた上で、
例えば対象のAとBをあるいはCの制度比較もなく、あれこれと指摘した処で、基盤の比較もなければ成立しないと思量します。


1960年代の日本は国も社会も質素で謙虚でした。
カネがなければ、モノがない。モノがなければ、智恵を捻り使う。

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多くを喪った日本は、
比較に対し「質実剛健」で、智恵を重視する事でチカラを蓄え、耐えてきたと考えています。


また、対米従属は米国と対立し相争っても然したる意味もなく、
喪うことの大きさを経験的に熟知した事もあり、譲りながら踏み込む姿勢を保持し
経済関係の保持安定に努めているためと、不満ながらも理解し容認しています。
まぁ、日本は最大公約数の政策を採らざるを得ない環境条件にありますので。


知識も知恵をなく、
互いに語り合う事はできますが「幻想」や「夢幻」を述べ合っても詮無きことと考えます。
否定したり、立脚点の整理を薦めているワケではありませんが、
一つの比較には一定の検証可能なデータがあり、十分な思考を経た上での指摘や議論また雑談を歓迎します。

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