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2025/10/18

「灘のけんか祭り」 令和7年の報道を拾い「サマリー」としての記憶を続けて出典を記述し記録投稿しておきます

灘のけんか祭り」は、大きな事故もなく、
秋の蒼天の下で執り行われ、14日の宵宮、15日の本宮を、無事に終え納める事ができました。
本宮での「御旅山渡御」「神輿合わせ」は恙なく、屋台練りは興が乗り時間厳守が叶わなかったようですが。
神々に、この秋の稔りを得た事に、十分な感謝をする事ができたのではと。
何よりも、祭に参加された熱い皆様の勢いで、地域から邪悪な悪霊を退散させるに十分だったと。

【灘のけんか祭り】 激しくぶつかり合う神輿は迫力満点! 日本3大けんか祭りの一つ 兵庫・姫路市

兵庫県姫路市で10月15日、日本3大けんか祭りの一つ、「灘のけんか祭り」が行われました。

 砂埃を上げて激しくぶつかり合う神輿。日本3大けんか祭りの一つと言われる「灘のけんか祭り」です。

 「ヨイヤサーヨッソイ」の掛け声に合わせて神輿を豪快にぶつけ合います。ぶつかり方が激しければ激しいほど神様が喜ぶとされていて、目の前で繰り広げられる迫力満点のけんか祭りに観客も大興奮していました。

 「よーいやっさー!たのしい」
 「迫力が全然違う。もう最高」

 金銀に飾り立てた屋台の激しい練り合わせも行われ、会場は熱気に包まれていました。

<MBSのニュース映像から> (2025/10/16 10:10)


けんか祭り 八家らしく 出立ち
(讀賣新聞 2025/10/15 08:37)

 姫路市南部の旧灘七ヶ村を舞台にした「松原八幡神社秋季例大祭」(灘のけんか祭り)が14日、始まった。2日間にわたり、屋台や 神輿みこし 、獅子などが地元や神社を往来し、練り子らの「ヨーイヤサー」という掛け声がこだまする。(坂木二郎)

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 午前9時前、八家地区には大勢の氏子らが集合し、出発の儀「出立ち」に臨んだ。地元神社で安全を願って両手を合わせた後、松本孝宣総代が「天気も予想以上に良くなった。今日あした、八家らしい祭りをやってもらいたい」と呼びかけ、全員で乾杯。拍子木を合図に屋台を担ぎ、通りへ練り出した。

 本宮の15日午後1時頃、松原八幡神社では松原地区の露払いを先頭に練り番・中村の神輿、木場、松原、妻鹿、宇佐崎、東山、八家の屋台がお旅山へ練り出す。

祭りで育んだ 地域との絆
震災で石巻から移住 阿部さん親子
 灘のけんか祭りには、東日本大震災で姫路市に移り住んだ親子が参加している。在住15年目となり、宵宮の14日、「祭りがあったからこそ地域社会に受け入れてもらい、溶け込めた」と語った。

 八家地区の阿部圭輔さん(43)と大学1年の一心さん(19)、中学3年の哲心さん(15)の3人。

 阿部さんは宮城県石巻市で家族4人で暮らしていたが、2011年3月の震災で同県女川町の勤務先が津波に遭った。出張中で家族とも連絡がつかず「流されたのでは」と気が気ではなかった。全員無事だったが、職場がなくなり姫路市への異動を命じられた。播磨地域は、出張で訪れたことがあるくらい。「祭りで会社や学校まで休みになるのか」と驚いた。

 13年頃からは、自らも祭りに参加するようになった。まわしを着けて練り子らと屋台を担ぐと、周囲は温かく迎え入れてくれた。

 一心さんは祭りに中学時代から参加しているといい、まわし姿も堂に入る。のぼりを手に「石巻も姫路も、僕にとっては大切なまち。明日も八家らしい、活気ある練りを披露したい」と語る。

 市立灘中に通う哲心さんは今年、中学生で組織する「若中」でのぼりなどを担当し、屋台も担ぐ。前夜は興奮して眠れなかったが、「全く眠くない」といい、「これまでも友だちと参加して、ずっと楽しかった。この2日間もみんなと声を出し、盛り上げます」と意気込んだ。そして「僕にとっての古里は姫路。高校へ行っても祭りに参加し続けます」と力を込めた。


誇り 激突
(讀賣新聞 2025/10/16 08:35)

灘のけんか祭り ―本宮―

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 「灘のけんか祭り」として知られる姫路市の松原八幡神社の秋季例大祭が15日、本宮を迎えた。氏子たちが激しく 神輿みこし をぶつけ合う様子に、詰めかけた見物客からは大きな拍手と歓声がわき起こった。

 県指定重要無形民俗文化財で、衝突が激しいほど神意にかなうとされる。今年は中村地区の氏子が締め込み姿で神輿3基を担ぎ、神社から約1キロ離れた「お旅山」まで移動。「ヨーイヤサー」と声を掛けながらぶつけ合うと、「ガツン」という鈍い音とともに土煙が舞い上がった。


<1>華のかじ取り役 後世に
(讀賣新聞 2025/10/01 05:00)

中村屋台 高畑光男さん 44

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 姫路市の「灘のけんか祭り」(松原八幡神社秋季例大祭)が14、15日、営まれる。今年は旧灘七ヶ村で「 棒端ぼうばな 」と呼ばれる男たちを紹介する。

 太鼓や獅子、のぼりの担当者らに交じり、祭り当日は激しく動く屋台の前後や側面に付き、進路の確保や練り子の安全確認などを務めるかじ取り役だ。どのような形で他地区と屋台を練り合わせるのか、その交渉役まで担う。少し涼しくなった風に乗って太鼓などの音が響く中、その苦労、やりがいなどを聞く。

        ◇

 「よその村に負けたくない。自分のとこが一番強い」。そんな思いでけんか祭りに臨みます。棒端は二十歳の時からずっとやってきました。一番華があると思っていますよ。本番では、僕の「木を入れようか」という一言で拍子木が鳴らされて大勢の練り子が屋台を持ち上げ、動き出します。中村の屋台をどう動かしたいのか、よその村に伝えて調整するので責任は重大です。

 生まれも育ちも中村で、同級生たちは祭り好きばかり。中学の時、村にお願いして同世代の団体「若中」をつくりました。のぼりの周りでみんなでシデ棒を持って伊勢音頭を歌い、盛り上げる。祭りで中学生に役割がないのが嫌だったからです。高校でのぼりなどを務め、社会人になってようやく棒端になれました。

 終戦後、男たちが戦地から帰ってきて祭りを再開して、今年で80年。中村が年番になり、僕が棒端の責任者を務めることの思い入れは格別です。けが人なく終え、後世に引き継いでいきたいですね。(聞き手・坂木二郎)(随時掲載します)

練り子練習 威勢良く

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 「灘のけんか祭り」を前に、中村地区が練り子らを対象にした屋台練りの講習会を開いた。地元に「ヨーイヤサー」「ヨッソイ」という掛け声が約1年ぶりに響いた。

 棒端を含め、氏子ら100人以上が9月下旬に地区の屋台蔵に集合。拍子木の合図とともに練り子らは一斉に屋台を持ち上げた。早くも熱気が漂う中、屋台の支え方のほか、本棒や脇棒の握り方、事故防止のこつなどを学んだ。

 土師継士総代(74)は「地区が一丸になって盛り上げ、祭りを無事に終えたい」と話していた。


<2>「練り上手」 伝統守る
(讀賣新聞 2025/10/03 08:00)

八家屋台 宮脇敬介さん 40

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 「 屋台やっさ を落とせば八家の恥」という言葉が、地区に受け継がれています。 棒端ぼうばな を務めるのは3年目になりますが、祭りが近づくと緊張とともにプレッシャーが高まってきます。

 灘の7地区の中でも、八家は約380世帯と一番小さな地区。少数精鋭で「練り上手」といわれており、勢いも大事ですが、伝統を汚さないように慎重さも求められます。

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 八家屋台の紋所は「左三つ 巴どもえ 」。黄と赤を取り入れたシデに濃い赤の柿色といわれる鉢巻きで気を引き締めて臨みます。

 最も緊張するのは宮入りです。境内に入る際に走るので速度が速すぎるとコントロールが利かず、止まらなくなります。動きを予測しながら、転倒しないように安全に気を配り、指示を出さなければいけません。

 荒獅子の舞や練り子が一体化した宮入りの場面を演出し、練りで負けないように八家の名誉をかけて頑張ります。その責任は重大だという気持ちでいっぱいです。(聞き手・田辺貴司)


<3>安全と勝利 熱く導く 
(讀賣新聞 2025/10/04 09:50)

妻鹿屋台 三股知博さん 39

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 小学生時代からだんじり、シデ、のぼりとやりました。高校卒業後、希望して 棒端ぼうばな 会に入りました。高校3年のとき、祭りで特別に屋台のすぐ後ろへ入れてもらったことがきっかけです。

 綱を持つ2人の間、棒端しか入れない場所で見た光景は忘れられません。大勢が屋台を担ぐ中、棒端が先導しながら「もっと声を出せ」とみんなの気持ちを高めていました。その姿が格好良くて「すごい仕事だ」と感動しました。

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 練り合わせの時、練り子が脇棒の間に手を入れないよう目配りするのも棒端の役目。よその屋台と手が挟まれそうなら自分の体を入れてでも事故を防ぎます。みんな「練り子の命を守らなあかん」という気持ちでいます。

 22年目の今年、棒端会の会長になりました。しんどいこともありますが、祭りの2日間は頑張ります。「どんなパフォーマンスをするのか」。最近はそんなことばかり考えています。負ける気はありません。周りから何を言われても意志は貫き通し、まとめていかなあかんと思っています。(聞き手・坂木二郎)


<4>楽しく笑える 祭り追求
(讀賣新聞 2025/10/07 08:45)

松原屋台 堀崎太嗣さん 39

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 楽しい祭りにできるかどうかは、私たちの確認や指示の一つ一つにかかっています。とにかくけがをさせてはいけない、道中のどこに何があるのか、後ろ向きに歩いたとしても分かるように全て把握しています。

 昨年11月に 棒端ぼうばな の会長に就き、ピリッとした「祭り顔」になったと言われるようになりました。600人以上の練り子らがいます。課題だと感じたことがあれば、はっきり伝えて解決していくことを心がけています。

 物心ついた頃から身近に祭りがありました。あまりに身近すぎて、一時は無意識に距離を置こうとしていた時期もあったように思います。それでも13歳から20歳代まで獅子を務め、獅子舞保存会の会長も経験させてもらいました。「勝ち」にこだわって、いい宮入りや練り合わせができた時は気持ち良く、みんなの笑顔が本当にうれしく思えるようになりました。

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 屋台を新調した今年は、いつも以上に楽しく笑える祭りにします。その責任を果たせるよう、気合を入れています。(聞き手・高田寛)

<5>後進育て 全力尽くす (讀賣新聞 2025/10/08 08:13)

木場屋台 田中俊守さん 45

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  棒端ぼうばな 会長に就任し、7年目になります。一番神経を使うのは、練り子がけがをしないようにすること。今年も約30人の棒端会を指揮して全力を尽くします。

 木場で生まれ育ち、幼い頃から祭りに親しんできました。今も祭りが中心の生活を送っています。木場は団結力が強く、山(お旅山)に一番先に登るなど誇りがあります。

 木場は特に決まり事が多いのが特徴です。一番は宮入りの際「き(拍子木)を入れない」こと。昔は当たり前にしていましたが、先輩から引き継いだ伝統を若い人に丁寧に説明しなければいけません。

 棒端会長をしていて最も大変だったのは一昨年の年番でした。3基の 神輿みこし の統制を取るのに神経を使いました。祭りの前、他地区の役員といろいろな段取りを決め、祭り当日、その通りになるとやりがいを感じます。今後は若い子らを育てることにも力を注ぎ、祭りを盛り上げていきたいですね。(聞き手・田村創)


<6>地元沸く 最高の練りを
(讀賣新聞 2025/10/09 05:00)

東山屋台 箕田渉さん 35

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 生まれも育ちも東山地区。小学生の頃からだんじりを引き、中学生ではシデ棒を持ち、高校生からは締め込み姿で屋台を担いでいます。

 太鼓の音を聞けば気持ちが高まる、というのは幼い頃から変わりません。役職に就いて運営側に回るようになった30歳を過ぎてからは、楽しみよりも責任の重さを感じるようになりました。誰もけがをしないように、とにかく安全に祭りが終えられるようにと願っています。

 子どもの頃、祭りのことを「ただ楽しい」と思えたのは、多くの先輩たちが裏方で支えてくれていたから。今は感謝の気持ちでいっぱいです。運営側として忙しく駆け回れるのは、地元に恩返しをしたいとの思いがあるからです。

 屋台練りを見た人たちから「良かったよ」と言ってもらえるのが一番の喜び。一昨年より、昨年よりすごい、今までで最高の練りを見てもらいたい。「よそに負けたくない」と準備を進めるから、けんか祭りは盛り上がるのだと思います。(聞き手・古市豪)


<7>息合わせて練り安全に
(讀賣新聞 2025/10/14 09:00)

宇佐崎屋台 原健次郎さん 46

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 2019年から 棒端ぼうばな の総責任者を務め、仲間と共に安全管理を担当しています。責任感を強く持ち続けています。他の地区に負けない屋台練りを見せることを心がけています。

 中学生の頃から祭りに参加し、高校生の頃に練り子になりました。25歳頃、先輩に誘われ、法被の色も違う憧れの棒端になり、誇りを感じました。

 他の地区との屋台練りでは、責任者同士が息を合わせることが、盛り上げる上でも、安全面でも大切です。日常的に会話をし、人間関係を大切にするようにしています。2、3年前からは、自分の役を引き継いでもらえるよう、後輩の棒端に「練り子の安全を守るのが我々の仕事」と声をかけ、安全管理上のポイントなどを教えています。

 残念ながら祭りに興味を持つ子どもが減っているように思います。例大祭の前日には、屋台で街中をまわるのですが、子どもたちに綱を持たせています。祭りを好きになってもらいたいと思います。(聞き手・立花宏司)
(おわり)

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