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2025/10/08

日本保守党は、確固たる核の「政治綱領」も「組織綱領」もなく人気と期待の勢いだけで伸ばしてはみたが基本的に百田尚樹氏の私党から脱け出せず

「日本保守党」は、
シロオト集団ゆえか、重要な選挙が終わると「揉め事」が始まり起きますナ!

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前回は、衆議院東京17区の補選で候補に推した「飯山 陽」さんと、
選挙後にゴタゴタさせ「言った、言わない」の応酬を繰り広げ、傍で見聞きしているとウンザリさせられ続けでしたワ。


ようやく、それが消えたというのか霧散したような状態で、
昨秋の衆議院総選挙、今夏の参議院通常選挙で、一人前に脱皮できたかなと思いきや。


名古屋からアッフォ~マンスが大好きな「クズ屋の河村(もと市長)はん」と、
その配下の竹上某(比例当選)が離党し、さてさて、「議員辞職し議席を返せ」と百田ハンは喚くし、
世間は「河村」の甘語に乗せられ、チィチイパァパ~と浮かれていた百田と有本が人を見る目もなく甘いままだと、手厳しい。


パット出の政党が、
組織や政策に人材を伴い「一人前」に巣立つには、
代表の一過性の任期だけでは話にナランのですよ。


まぁ、長い目で突き放して見ておりますので、
それらは修行の道の過程で生じる痛い対価で、別に驚きはありませんが。


「河村たかし」は、
やはり出自か、税金を喰う、
税金で喰う事が基本の「お山の大将」で、その下品さは一貫している。


普通は、足下を見て寄ってきても「警戒」するモノだけれど、
百田ハンも有本ハンも、無警戒で酒を酌み交わし盛り上がってましたナァ!


政治は、そんなモンやオマヘンのでねぇ。


「共同代表」なんちゅうモンは、「半分、差し上げます」やからね。
後で、ゴチャゴチャさせ「因縁」を付け合うちゅうのは、
政策以前に政党を率いる人物としての器量を疑われマッセ。


引用開始→ 河村たかし氏「自ら離党するつもりはない」 日本保守党に分党要求へ
(毎日新聞 2025/10/1 11:39)

 日本保守党の共同代表を務める河村たかし衆院議員が、党から共同代表解任の通告を受けていたことが関係者などへの取材で判明した。河村氏は通告を拒否し、「保守党を解党もしくは分党すべきだ」と反論する文書を9月30日付で百田尚樹代表に送付。河村氏は百田氏らとの関係修復は困難との見方を示し、新党立ち上げも示唆した。

 河村氏と百田氏は、以前から支部作りや党資金の運用など党運営を巡って対立を深めていた。

 河村氏は1日、報道陣の取材に応じ、「自分から(保守党を)離党するつもりはない。離党したらこれまで保守党を応援してくれた人たちに申し訳ない」と説明。一方で、考え方の違いから百田氏ら保守党執行部との関係修復は困難との見方を示し、政党助成金の分割などを伴う分党を執行部側に要求し、活動していく考えを明らかにした。

 河村氏によると、9月19日に河村氏は百田氏、有本香・党事務総長と名古屋市内で会談。その際、百田、有本両氏から共同代表解任を通告された。さらに、河村氏が率いる地域政党「減税日本」との特別友党関係の解消も伝えられたという。

 河村氏はその場では回答を保留。その後、減税日本所属の名古屋市議や愛知県議らと対応を協議してきた。

 河村氏は百田氏に宛てた文書の中で、共同代表解任については「承諾できない」と拒否。また、友党関係の解消については「明確な根拠が提示されることもなく一方的な通告は許しがたく、信頼関係は完全に崩壊した」と批判している。【式守克史】←引用終わり


引用開始→ 河村たかし氏「どえりゃー努力したのに」 保守党と決別?新党も示唆
(朝日新聞 大西英正2025年10月1日 19時00分)

 日本保守党の河村たかし共同代表は、自身が代表を務める地域政党「減税日本」と保守党との友党関係を解消すると決めた。友党解消は党本部側から伝えられていたが、河村氏は1日、朝日新聞の取材に対して「関係の修復は不可能だ」と話し、新党を立ち上げる可能性を示唆した。

 減税日本関係者などによると、9月19日に名古屋市で保守党本部側と河村氏が面会。2023年から結んでいる特別友党関係の解消や共同代表の解任を通告され、「決定事項」と告げられた。河村氏は減税日本内で協議し「(両党の関係は)すでに破綻(はたん)しております。信頼関係の再構築は不可能」とする文書を同月30日に党本部へ送付。解任という「決定事項」は「承諾できない」とした。

 保守党は23年、百田尚樹氏を代表として設立し、当時名古屋市長だった河村氏が共同代表に加わった。24年の衆院選では河村氏を含む3人が当選した。しかし、近ごろは党運営をめぐって河村氏と他の幹部の間で対立が生じていた。

 河村氏は取材に対し、「(全国平均と比べて名古屋市は)衆院比例で4倍くらい、参院比例で2倍くらい保守党票に貢献してきた。どえりゃー(ものすごく)努力してきたのに突然バイバイなんて」と昨秋からの国政選挙で党勢拡大に尽力してきたことを強調し、不快感を示した。

 記者から離党するか問われ、「(私に)不祥事があったわけではなく、離党するのはおかしい。わしらの親分が悪いことやったのかって思っちゃうでしょう。悪いことどころか貢献しとるんだから」と語った。また「分党ならあり得る。恨みっこなしで。新党といった話も出ているが、相手もいることなので」とも述べ、明言を避けながらも新党の可能性を否定しなかった。←引用終わり

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