「文化はカネになるか」と問われると、考えようだが「付加価値」は一定の社会文化が無駄でも集積すると、相互に刺激し合い創造的に産み出されると応え
社会文化は、見えない「付加価値」の源泉で、
感動を生む重要なモノやコトの素を形成し、古いモノやコトと新しいモノやコトが刺激し合い、
目には見えずとも次の環境や市場を創り出しているともいえる。
ローマのマネをしても、ローマには成れない。
パリのマネをしても、パリには成れない。
ニューヨークをマネしても、ニューヨークには成れない。
それぞれが持つ都市としての「社会文化」は、似ていても基本はオリジナルなのです。
それが、そのマチや社会で揉まれ刺激し合う事で「新しい価値観」を造り出し他へ波及する。
「文化はカネになると、よく言われますが、本当になりますか、
どのようにカネになりますか」これも正面から直球で質問されました。
" 文化 ” そのものがカネに換わる事は、
芸術・アート作品が高評価を得る事で " 売買 " が成されると、
分かり易く「カネ」を得る事ができますが、それは極めて稀な事です。
1点ものの作品でも、同じモノを一定数造形できる作品でも、
自ずから限界があります。
芸(パフォーマンス)の世界は、芸というか技を普く披露し金員を得る、
いわばビジネスでもありますから、個人でも集団でも、エンターテイメント性が高ければ、
観客という対象はカネを支払いますので、換金性という点では分かり易い事例でしょうね。
「" 文化 " はカネになる」と言っているのは、そのように即物的で即効的な意味合いではありませんので。
高度な文化的蓄積や、重層的な文化性を保つ「都市や地域」は、
人を魅了し惹き付け引き寄せる魅力があります。
例えば、
京都や奈良には、他の都市や地域が一朝一夕に真似のできない重厚な歴史的積み上げによる、
地域として都市としてマチバとして、他の追随を許さない独特の匂いや風情があります。
それを求め、その雰囲気を求め、
経験「コト」を求めて人が来る、人が集まるわけで、
人が来て集まれば、その人達が求める「ナニ」かを供給する者が現れ、
それを売り買いする形としての「モノ」が原始的に産まれます。
やがて、安定的な「モノ」を供給する事が求められ、
必要上の理由から、最初は「モノ真似」に始まり、やがてそれでも「価値」を産み、
それが洗練される事で「名産品」になり「土産物」として、
その「都市や地域」の「モノ=名物」として育ちます。
安定的な供給を欠かさないようにするために、
安価な商品でも「モノ造り」と「店頭供給」のサプライチェーンが形成され、
やがて「産業」と称されるようになります。
例えば、京都の手短な土産品で、
最も分かりやすい例を上げると「八つ橋」でしょうね。
歴史的文化都市、世界文化遺産を有形無形で数多く保持する京都を、
代表する身近な「手土産=モノ」として、地味ですが「横綱級のポジション」を持っています。
単なる「モノ」としての「八つ橋」そのものに、
然して大きな価値があるワケではありませんが、千年を超える「歴史文化都市」の京都の街が育てた、
手軽で気軽な「名品=モノ」とも言えます。
それは歴史文化都市「京都」という漠然としたイメージが、
その歴史文化に触れ「感動=コト」するを目的に訪れた人が、
形のある手土産としての「モノ」を「八つ橋」に象徴的に集約し気軽な「手土産=モノ」として求めるているのです。
都市や文化が包摂する漠然とした「環境」などを大きく括るイメージとしての「知財」は、
多くの見えない「利益」を共有しつつ、それを具体的な「モノ」の形に見せ、
供給し販売する人を軸に、関わる多くの人に見えない「利益」を、様々な形で提供しているといえます。
固有の「文化」は、
それを創り出し「包摂」する社会の重要な「ソーシャルキャピタル」といえます。
「ソーシャルキャピタル」は、
そこに棲む人、あるいは働く人、利用する人らを含め、
広汎な一過性の人も含め「互酬性」を幅広く大きく提供しているワケで、
その「芯」に対する尊重や敬愛また尊崇し維持する事が重要ではないかと考えているのです。
有形無形を問わず数多くの「世界文化遺産」を保つ京都や奈良を観光(体験=コトを為す)する。
それに依り「得がたいトキ」を過ごす。時には「コトで感動」する。
その記念に「手土産(モノ)」を求め、思い出と共に持ち帰る。
これほど見事に「モノ」「コト」「トキ」が一連のストーリーを完結させる事で、
常日頃「文化はカネになる」と指摘している事をご理解いただけましたでしょうか。
蛇足ながら「文化」そのものが「一対一でもカネ」になりますが、
そのような矮小な事を宣べているワケではないのです。
大きな仕掛けの必要性を指摘し、やがての「結果」である事を言っているのです。
いつも「クリエイティブ」を重視する投稿を多く見かけますが、
「" クリエイティブ " とは何を指すのですか?」と、正面から直球を投げられ・・・
そうですよねぇ「クリエイティブ」は、人により様々で、幅も広く奥行きも深いですからね。
まず、何よりも「クリエイティブ」なテーマに携わる人が関わる分野や階層ごとに質や中身が異なりますよね。
何よりも何よりも「人は創意工夫」をする事で、
自らを含め他者の「環境」や「条件」を変え、
利便を創り出し多くの人に提供する事で「世の中」を変えてきたのです。
もぉ一つ「付加価値」ってナンですか?
これまたズバリ直球のクェスチョンですね・・・
まず「付加価値」についてですが、
分かり易く言えば
「価値」とは「値打ち」ですよね!
人は何よりも「価格値(=価値)」として分かり易く計りますよね。
貨幣経済が発達した「現代社会」で「価値」は「値打ち」がある事が流通のポイントとされます。
しかし「世間」というか「世の中」には、貨幣価値などでは到底「計りきれず」見えない大きな「価値」があります。
当然ながら、それは「人」により様々です。
「近現代の社会」では、
長年にわたり社会で、多くの人へ何気なく提供し、まるで「空気」のようになった「価値」もあります。
例えば「自販機」はそれに当たります。
マチナカの至る所に配置され、販売提供する飲料を「夏は冷たく、冬は暖かく」。
これは、その飲料を求めるヒトには「値打ち」がありますよね。
実は「大きな付加価値」を提供し、従事者を含め数多くの「付加価値」を生み出しているのです。
(しかし、その過程は既に空気のように、従事しない限り中々見る事はできません)
「システム化」されると「高く大きな傘」になり、
たくさんの人が「その傘に覆われ」少しずつ「付加価値」を分け合っているのです。
ここでの「付加価値」は「自動販売機」を創り出し、マチナカに設置し、飲料品を配送デリバリーし、
マチナカの顧客に時間の制限なく「飲料提供」する仕組み、これそのものが大きな「付加価値」であり、
原点は「自販機」の発想と設計そして製造にあります。
設計過程で欠かせない「金銭授受(システム)」の仕組みが設計され製造され付与され。
飲料を「冷やす」「温める」「保存する」仕組みが設計され製造され組み込まれ。
多くのヒトが携わり、従事するヒトの雇用が生まれ、賃金対価を得る事を始め、価値を連鎖し合い繋がり。
分け合って(付加価値の分配して)いるのです。何よりも「付加価値」を創り出すとは、
あらゆる分野で、誰もが関与する事ができ、その主軸を担う事もできます。
現実の社会を冷静に見詰めると、何かの「気付き」や「発見」があると思います。
それが何か「改善」や「改革」に結び着く要素は大きいと考えます。
分かり易く言えば「値打ち」を高める事が、分かり易い「付加価値」を考える上で重要な点です。
評価や意見は様々でしょうが、
現代社会で、
世界を大きく変革し「価値」を提供した最も巨大な「クリエイティビティ」を成したと考えているのは、
マイクロソフトを創業形成したビル・ゲイツと、
アップルを創業形成したスチーブ・ジョブスを善なる2大巨頭として上げておきます。
小さな疑問、小さな不思議、それで何かの「ヒント」や「アイデア」を産み出す。
それを「価値」に結び付ける事が「クリエイティブ」の出発点です。
大小を問わず社会の新しい「価値」は「クリエイティブ」する事で創出されるのです。
そして、それを完成させる「方法」と欠けた「ピース」を探し埋める協力者や協働者を得る事で「形」にするのです。
「世界と競う、世界で競う」
「創意無限」「創造無敵」
これを掲げ走り抜き、今も大切にしています。
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