社会を広く形成する人材は、社会的な役割とリードするポジションにより求められる様々なスキルがあり、それを分担し協力協働する事で対処しているのです
大学入学共通試験です。
実際には、
対象学年次人口の50%超を国・公・私立を問わず既存大学が受け入る事ができる定員にあります。
日本の社会は、官民を合わせ、ザックリながら30%のミドル・リーダーを必要としています。
組織化された「社会」の形成を眺めると、
私的な試算では、
日本の社会は、上位に
1%の超級者
6~7%の上級者
(軍で言えば将軍クラス)
10%のアッパー・マネージングクラス
(軍で言えば准将官クラス)
12%のミドル・オフィサークラス
(軍で言えば佐官クラス)
この直下層に、いわゆる
20%のミドルクラス(U/尉官~B/士官・曹位)があり、
ここまでの合計30%が、いわゆる「人財」と捉えられる層ではないかと
更に下層の、いわゆる
30%のロアークラス(兵)
現業(生産)で前線を整え、兵としての多様な人材を指揮し監督する層が厚く形成されているかと。
その下層に、組み敷かれた
20%の底辺下層(現業の生産やサービス従事者)が形成され、いわゆる
ボトムクラスが蠢めき全体を形成しています。
全体の人的な質が低下すると、間違いなく社会経済は大きく停滞します。
「大学入学共通試験」の是非を議論する考えはありません。
また、
人の能力は、ペーパーテストの点数だけでは量れないのも事実です。
しかし、18歳までの歳月で一人ひとりが歩んだ道と、
その取組み(コツコツ真面目だったか、付け焼き刃か)は、経験上から反映されるように思います。
大学は、次の日本を担うべきと期待される様々な学生を、大きく育成するため、
当該大学が提供する学力に見合うかを見極めるために試験を課し選抜します。
モンテスキューが指摘するように「人は法の下において平等」の基本があります。
しかしながら現実には、
個々人の個性や能力には「秀悪」を含め大きな差があります。
その差をできるだけ客観的に判定し、
それぞれの大学が目標に掲げ提供しようとする学術大系(大袈裟で高邁でスミマセンが)に適し
見合う学生を選抜する自由はありますので・・・
それが不満で理解できないという人は、
残念ですが、上位の30%を目指さず、残りの20%で妥協する事をお勧めします。
(既に、前年の11月までに仕訳が終わっているかと考えます)
とはいえ、
上・中層から、やや離れた下層へ進んだとしても、取り組み方次第で、
上・中層へ進み遊び呆けている者などを踏み倒す事など簡単です。
要は、
18歳の冬から春にかけての成績は、
これまでの18年間の内で10年をどう過ごしたかに過ぎませんので、
それを普通に考えるか、いやいやと4年~6年の奮起するかだけですよ。
本来、30%の人財として期待されながらも、
18歳まで育った環境が、その立場や地位を形成するに足りない状況で過ごしきた人は、
他者が羨む著名会社に採用され人財として期待されながら、一貫して期待に応えず裏切り続け、
塵のように罵倒されてもしがみつき離れぬクズは数多に上るのを見てきました。
その塵も、自身だと理解せず「いいね!」をしているのがお笑い堕。
大の大人の「ダメ汚」は、山のように溢れています。
要は、それに負けず打ち勝ち自身を如何に位置づけるかなのです。
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