外国人へのヒステリックな騒ぎ立てに些か異議がある! 詐欺や暴力など迷惑行為で刑事事件を起こす中獄塵や狂怒塵またイスラミックは分別して考えよ
外国人問題について喧しいが軽挙妄動名議論に対し異議を述べる。
これまで、いわゆる「本邦漂着の外国人定住者」は、日本社会が固有に形成した「社会的価値観」や「人としての倫理観」を大切に遵守し、積極消極の別なく日本社会に溶け込み暮らしている。
最初は、西も東も分からず、習慣はおろか慣習も分からず途方に暮れていた。
しかしながら、周囲の支援者の努力もあり、大半は「社会の規範」を理解し、彼らの共同体とは別に地域の大きな共同体とも交流を重ね溶け込み、相互に理解し合い扶け合う関係を築き上げた。
思えば、最初の漂着から50年が経過し、
彼らにとり、今や既に日本は故国である。
漂着した難民の2世の多くは艱難辛苦を乗り越え、努力し勉学に励み、多くが優秀な人材として大学教育を身に着け、独立した後に家庭を築き3世を設けるまでになった。
これら半世紀の過程では、凡そ筆舌に尽くしがたい差別を受け苦闘を重ね、極めて質の高い「日本の社会を構成する一員」になった。
新生国家の国籍を拒否し、
然りとて「日本国籍」を持たず、未だに1世の多くや2世は「消滅した国籍」のまま「難民」として生きている。
本邦への出入国は、本邦政府が発行する「再入国許可書」に頼っている。
本邦政府は、
広汎な意味で結果的に「インドシナ戦争」に加担し、支援した国家が消滅した事での「国際的な信用失墜」や「道義的責任」もあり、穏やかに上陸を認め、再入国許可も与え保護し、とても広い意味での「人権」を護っている。
本邦へ漂着した「インドシナ難民」の多くが、
様々な曲折を経て本邦に溶け込んだ最大の理由は、広く大きな意味での「社会的基盤」というか「宗教律」「社会律」「生活律」を含む「道徳律」が共有できる基盤にあったと考える。
とりわけ[宗教律」が広い意味での佛教徒(多くが浄土教)とキリスト教徒であった点が大きい。
しかし、相互に認め合い溶け合うには四半世紀ほどを要した。
難民として本邦へ漂着してから、15年~20年で、ようやく生活に目処が立ち安定し始めた時に、襲いかかった「阪神淡路大震災」では、神戸での定住地の大半が激震地であり、再び全てを喪ってしまった。
3日ほど後に、救援に訪れた際、避難所に入れなかったようで、公園で雨の中に震えながら耐える姿があった。
それでも耐える彼らに心底から頭が下がった。
ナンとか、雨露を凌げる場を獲得し提供し、支援物資が届くように手当てするまで3~4日、彼らは「飲まず食わず」で不平も不満も口にせず耐えていた。
インドシナ難民は、本当に人として強い人達だった。
深い考えもなく、簡単に「外国人排斥」を主張する日本人は、
故国を喪う事の厳しさも識らず、何を無責任な事をと糺したくなる。
今日の日本の基層には、
凡そ2000年前から、日本列島の各地へ「海洋の民」「海人」として漂着した「渡来人」達が、先住者と争闘し開墾し定住した事で、築き上げられた堅固な社会基盤により成り立っている事を、何よりも弁知する事だ。
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