マチバの零細事業主が「いま太閤」と持ち上げられ、事業の組織化は勿論ながら社会との関係性も自己中で時々の気分が優先支配するのは経営と言わぬ
人は「一人」では生きられない。
オモシロイ投稿を見ましたのでスクリーンショットし転載投稿を。
この投稿の問いへ、
厳粛で厳然とした事実に対し「謙虚」であるか、はたまた「傲慢」であるかにより二分されると答えたく。
概ね、
無手勝手流に伸し上がった成り上がり者には「傲慢」が多い。
逆に、
人としての誠の途を教えられ学び功を成し得た者は「謙虚」です。
成功者の二代目は、なぜか「謙虚」さを欠き「傲慢」が窺えます。
永守氏は自身に「學」がなくても「努力」で補い途を拓き「名」を成し。
その過程は荒ましく、その様々な過程で構築形成の「人間観」が全てかと。
「名」を成す後も「名」と「業」に際限なく拘り、従業者には絶対の忠実を求め。
固より「業」の名も「日本」に拘り、自らの「永守」と「日本」に拘り続け。
世界に「覇」を唱え、その際「日本電産=永守/永守=日本電産」を押しつけ。
所詮は、零細な町工場主の海図なき「夢の亦夢」でしかないが。
「張り子のトラ」を大きく見せようと背伸びと威嚇を追い続け。
他者の事業を買い叩く、他社の人財を釣り上げ買い叩くも、齟齬が昂じ喪い続け。
(役に立たぬと、当たり続け、周囲の顰蹙を一手に買うも気にかけず)
心のビンボニンは夢を追い、ゼニカネで買収支配し収奪する。
ある時、京都市南区と向日市の境目に本社ビルを建てた。
それは誰がどう見ても「永守の墓石」にしか見えぬと噂になる。
続いて隣接し薄く低いビルが建つと「永守の霊標」と噂された。
「永守はんトコは、エロォお元気やよって、たいそなコッテ・・・」
「いまは太閤ハンでもなぁ、いつまで続かはるやろか」と世間は冷たく。
同じく、京都市南区は十条に建つ「京セラビル」には怨嗟もなく。
技術職人に、役に立たずカネにもならぬ「哲学」など「學」は不要と。
一方で、稲盛氏は、人の心を説いた。企業の存在理念を説いた。
やがて賛同者は「稲盛塾」を各地に形成し、理念の共有化を進める事に。
真に「北風と太陽」の例え話でもあろうかと・・・
取り組みの結果は、厳然と(いずれも)後から従いてくるのです。
別に、
「永守氏」を貶めようとするワケではナイのでして。
「日本電産の永守重信」という希有な伝記が編成されると、
それは、技術ビンボな日本の町工場を率いた零細事業者が、
艱難辛苦と戦い抜き克服し、超巨大企業に伸し上がったモノの、
人間観や哲学の無さで、やがて統合の役割を終え解体で終わる。
425年後の「珍奇な、いま太閤の物語」でしかないかと。
同様同種の日本人は、アチコチの町角にゴロゴロ居るのです余。
特に、ホールセラー(卸売り)アパレルの事業創業者は大半が、
「永守型」で、乞食のようにゼニの匂いに吸い寄せられたものの、
従業者や協働者また協力者などには気にもかけず、
刹那的な「吾が利益」だけに走り続け、追い続け、異なれば激怒し、
事業の永続化など考えもしない浮游ゴミの類いではないかと見ています。
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