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2026/04/30

イラン・イスラミック共和国とイスラエル+アメリカ合衆国の啀み合いは3000年を超える歴史過程の一つに過ぎず 消滅させ終わるワケではナイ事を知れ

イランとイスラエル+アメリカ


双方ともが、互いに眼の上のたん瘤で、
その譲れぬ非妥協が多大な混乱を生み出し難儀を強いる。


互いに自らの宗教原理主義による原理主義国家ゆえ護るべき精神は根深い。


一般的な日本人から観ると、
度過ぎた原理主義は異常に見えるかも知れないが、
立場を変えると、日本の神道も彼らには理解できない。


丁寧に説明すると、理解できなくも象徴性や表明的な行為として納得はする。


同様に、彼らの宗教行為を説明するが、
日本🇯🇵の社会が育んだ経験や価値観では容易に捉えきれず、
多くの日本人は、お手上げで、機をみてサラッと話題を変える。


そんな世界で、
誇り高いイラン(ペルシャ)と、これまた誇り高く妥協しないイスラエル🇮🇱が、避けられない雌雄を賭ける決戦に。


緒戦の物質破壊戦では、イラン(ペルシャ)は完全に圧され気味ですが、
長期戦でドロ沼化へ持ち込まれるとイスラエルには勝ち目がありません。


それは嗾けられて、この度の戦争を始めたトランプのアメリカは、
殊更の事で、口は達者ですが、もぉ、殆どお手上げに近い状態とも言えます。

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そんなイスラエルの歴史、イラン(ペルシャ)の歴史を、分かり易く著した中公新書が、この2冊です。


中東の国々にすれば、イスラエル🇮🇱の存在を認め許すのかが、原点にあり。
イスラエル🇮🇱nには、3000年を越え追い立てやがって、約束された「父祖の地」を守り切る。
と、いう事なのですが。


イスラム社会の予言者を頂き領導するイラン(ペルシャ)の側には、
存在そのものが許容しがたい対象なので、これは話し合い妥協の途を探ろうというテーマではないとも言えます。


まぁ、1975年にベトナムから敗退したリンドン・ジョンソンのアメリカが、
ジミー・カーターを担ぎ国際社会で地に堕ちた権威や信頼を取り返そうとの最中に、
イランでホメイニ革命が起き、テヘランのアメリカ大使館が攻撃を受け占拠され、
這々の体に陥れられた事、その後のイラン🇮🇷は中東の火薬庫になり、
アメリカ何するモノと「核開発」「武器開発」に挑み続け、イスラム革命の輸出に励み、世界で誰もが怖れるチカラを得たとも言えます。


まぁ、イラン現代史は、ホメイニ革命の後に歩んだ途を記述されています。


イラン(ペルシャ)とイスラエル(ユダヤの民)を、
概括的に整理しつつ考えた事は「虚夢」であり「現実」であり・・・


日本にも、
嘗ては冷徹に高邁に予言者を体とした自信屋の型破りがいた。

それを見ながら後継の座を得た者があり型破りと傲慢だけを追った。

横で眺め苦虫を噛み潰した者は争うも熱く争わず気長に丸く治めた。

この三者を「ホトトギス」に例えを求め比喩で評した者もいる。


古来より、
日本🇯🇵には豊かな自然があり、
その自然が織りなす「風情」が人としての感性を磨き
「豊潤」や「侘寂」を育み、時刻の感動を様々な表現力で伝え残し。


例えば、色彩を感じ表すにも広く深みがあり、
感性が豊かに包まれると、微妙な違いを言葉に置き換え表し示す。
そこに繊細さが見え隠れし、人はそれを愉しみ更に感性を深める。


それを「生」と「滅」で完結させ、その一つひとつを「もののあわれ」として眺め大切に扱う。


強い「陽」を浴び「光」と「陰」が二分する世界では、
覆うモノがなく全ては「正」か「邪」に二分され「従」か「否」でしかなく「1」か「0」で、
中間がないため「画一的」で「生」か「死」の選択が日々刻々と強要される世界が拡がる。


日本の民は、
様々な自然条件が織りなす空間に生き暮らし、
正邪の判断も「1」か「0」ではなく、いわゆる車でマニュアルミッション車の「半クラッチ」という「1~99」までの接触段階があり、
大きな幅の世界で様々な「創意工夫」の機会が無数にあり、それが「心の豊かさ」を保つ源とも言える。


いま、アチコチで生じる「征服占領」を試みる勢力と、
それを批判も非難もせず「融和受容」に粉骨砕身する側が利用され一体化し、
それに危機感を持つ側が「規制排除」を主張し、
地域社会の安全安寧から国としての主権の行使による安全安寧の提供を求めている。


騒動を引き起こす側は、
何れの国(彼らが保持する旅券発給国)でも、追い出し追い払いたいゴミであり、
それを両国間つまり日本との外交建前で受け入れる「日本」は実に都合のヨイ、
モノ分かりのヨイ国なのであり、静かに確実に送り出し続けているとも言える。


その環境を眺め観て、
かつて「大伴旅人」が残した万葉集歌を思い出し。

1925

<コラコラコラム ©>

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