漱石は草枕で「山路を歩きながら考えた。智ちに働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい」ものだと。
聡明で「カシコイ女史」は、
常に周囲との関係性を重視するのだが、
やはり何処かで「カシコ」が現れ抑えきれず、
ついつい「高み」からモノを言う(社会的不器用がでる)。
人は驚くが、聞けば「確かに・・・」と思い納得し受け入れる。
カシコイ女史が高ぶる事はない。
しかし、周囲の多くの人たちには、どこかナゼか壁を感じさせられる。
「能ある鷹は爪隠す」と言われるが、
「そうかも知れない」と気にせぬまま周囲は考え共有化する。
聞けば、周囲の人たちには、遠い遠い誰もが識る高校の卒で、
大学はその高校に相応しく東京では専門分野で日本の秀才が集める大学で、
卒後は能力に相応しく引く手あまたの商社に職を得て、肩で風切るを実践したものの、
他国の同様な職種との待遇差を知るや否や直ちに辞し、一匹狼として生きる途を進む。
その過程では、徐々に高慢ちきな強引さが見え隠れし、
同調し支持してくれない相手へは猛然とした、あるいは傲慢な態度を示す。
例えば、対象との彼我の状況を生む過程あるいは経過を考える事もなく態度に表す。
この過程で、
初期昂奮型の性格も災いし、男に熱を入れ得たものの自身の思考や価値観と合わぬと恥もなく棄て去る。
太平洋を越え男を拾い一児をもうけるが、
生活環境の不便さを枚挙し、乳児を伴い文句タラタラ不平ブーブーを撒き散らし
太平洋を越え舞い戻る。
世間の目も煩く「狭い海山地域ながら打ち捨てられた地の屋敷」を手当てし、
改築補強した上で生活拠点にし、
自然に恵まれた環境を手に入れ「野人の生活」を切り拓く。
隣近所とは、一山越える要があり、まるで「仙人」が暮らす桃源郷だ。
国を超えもうけた一児は、情緒不安定に陥り此方でも彼方でも「不登校」で、
何より母親の血を引き「批判」力は強く旺盛で周囲はお手上げだ。
「ギフテッド」なのかも知れず・・・
事情を識る側は、その種の基礎的能力を評価を示し、
義務教育機関を終えた児に対し、親子共に社会環境を自覚し、
その情緒不安定を克服し自立して社会的に求められる基礎能力を付け、
いずれの社会も「協働」なのだから。
社会に資する事すなわち「社会基盤」の形成への取り組みを迂遠に助言し補助しているようで。
「こどもの日」に、思い考えた事です。
<コラコラコラム ©>
| 固定リンク


