飛鳥の時代に思いを馳せ世界に誇る歴史文化遺産・遺跡を大切に守り 旧来の明日香村居住者も新規の移住者もこの地に棲み暮らす誇りにしましょう
「飛鳥・藤原宮京」の保存を始めたのは、
たった一人の勇気ある「首相直訴」から始まった!
それが日本の政治を動かし「明日香保存法」の制定に繋がり今日へ。
しかしながら、
日本の多くは、然程の関心も示す事なく「お付き合い」でしかなかった。
住む側も、大切な地に棲み暮らしているという認識もなく。
いわゆる「掘っ立て小屋ハウス」よりは、マシな程度の安普請住宅街の乱立が予想された。
飛鳥の空間が破壊されてしまえば、
今日に至る日本の国家としての根幹が消滅してしまう。
「それをしてはならない」「それをさせてはならない」と、熱く考え静かに行動した人があった。
「明日香保存法」が成立し、5年以上の歳月が経過し、
PHPと「世界を考える京都座会」に懸かる人財「Iさん」の紹介で、
社会貢献のサイドワークテーマとして、初めて明日香を正式に訪ねたのが1986年だった。
小規模な予算で指定地域の「景観保全」「文化財の保全修復」「飛鳥文化の理解呼びかけ」など、
明日香村、橿原市、桜井市、奈良県が抱えるテーマは多過ぎた。
国も飛鳥国定公園保全に人や財政を投じたが、
まだまだ規模的に人的に財政面でも気薄だった。
(当時、国交省のOさんは獅子奮迅の取り組みだった)
主体の明日香村は、大きな課題を背負わされ「青息吐息」とも言えた。
田園地帯の「(都市)地域計画」「地域経済計画」「地域ビジネス振興策」など、
中長期また短期(当面)の経済振興施策、などなど・・・
文化財の保全や修復と両輪で、地域の理解や意識改革が不可欠で、
「飛鳥の誇り」を、明日香で暮らす誇りを、(都市)地域計画の徹底を。
ゆっくり歩む、熱い誇りを形成し、周辺の理解を大きく形成し、
いま「明日香村に棲み暮らす」のは、古代の「霞ヶ関に棲み暮らす」コトだ。
自動車は「飛鳥ナンバー」の登録を認め既に実現されている。
吾が方は、吹いていただけだと思いますが。
<コラコラコラム ©>
引用開始→ 遺跡を守った「明日香法」、制定の動きは一人の村民の訴えから始まった…「飛鳥・藤原」世界遺産へ
(讀賣新聞 2026/06/08 10:31 関口和哉)国連教育・科学・文化機関(ユネスコ)の諮問機関「国際記念物遺跡会議」(イコモス)による勧告を受け、世界文化遺産登録に向けて大きく前進した「飛鳥・藤原の 宮都きゅうと 」(奈良県)。19件の構成資産のうち15件がある奈良県明日香村では、村内の現状変更を厳しく制限する「明日香法」が遺跡を守ってきた。制定の動きは、一人の村民の訴えから始まった。(橿原支局 関口和哉)
「日本の原風景」とも言われる景観が残る奈良県明日香村。中央付近には「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産の一つ、飛鳥寺跡が見える佐藤首相に「直訴」
「日本の心のふるさと 明日香を守るために」というタイトルの録音テープが1970年1月、当時の佐藤栄作首相のもとに届けられた。明日香村などによると声の主は村在住の 鍼灸しんきゅう 師、 御井みい 敬三さん(1918~71年)。村の歴史風土に魅せられ大阪市から移住したが、高度成長期で開発の荒波は村にも押し寄せようとしていた。危機感を覚えた御井さんは、親交のあったパナソニックホールディングスの創業者、松下幸之助氏にテープを託した。
「明日香の古京を 逍遥しょうよう すれば、誰しも日本のこの国がいかにして形成され、いかなる経路をたどってきたかを回想せずにはおられないでしょう」。法による明日香保存を訴える〈声の直訴状〉を松下氏との懇談会で聞いた後、佐藤首相は「知らなかった。これでは総理とはいえんな」と漏らしたという。
数か月後、超党派の国会議員が「飛鳥古京を守る議員連盟」を結成し、佐藤首相も村を視察。保存に向けた閣議決定がなされた。
飛鳥ブーム到来
運も後押しした。72年、村内の高松塚古墳で国内初の極彩色壁画が偶然見つかり、空前の飛鳥ブームが起きた。松下氏の肝いりで飛鳥保存財団(現・古都飛鳥保存財団)が設立されるなど機運は高まり、80年、明日香法(明日香村における歴史的風土の保存及び生活環境の整備等に関する特別措置法)が施行された。
古都保存法の特例として設けられた明日香法は、24・1平方キロ・メートルの村の全域を特別保存地区とし、建築物の新築や増改築から木竹の伐採、屋外広告物の表示にいたるまで県知事の許可を義務づけた。中でも飛鳥宮跡や高松塚などの4か所約1・3平方キロ・メートルは、「現状の変更を厳に抑制する」とされ、開発や新たな建築物の建造はほぼ不可能に。ほかの地域も著しい現状の変更は抑制された。
発掘調査には絶好の環境下で、飛鳥宮跡では県立橿原考古学研究所などが190次を超える発掘調査を継続。飛鳥岡本宮(I期)、飛鳥 板蓋宮いたぶきのみや (2期)、後飛鳥岡本宮、飛鳥 浄御原宮きよみはらのみや (3期)などの宮殿跡が3層構造で残っていることが明らかとなった。飛鳥京跡 苑池えんち や 酒船石さかふねいし 遺跡は研究者も予想しなかった場所から遺構が見つかった。いずれも「飛鳥・藤原の宮都」の構成資産だ。
相原嘉之・奈良大教授(考古学)は「オールジャパンで保存に取り組み、時間をかけた調査ができたことが、日本の律令国家の始まりである飛鳥時代の解明につながっている。明日香法が遺跡の保存に果たした役割は大きい」と語る。
進む過疎化一方、特別保存地区では自宅の増改築さえ自由にできない。10年ごとに策定される計画に基づき、道路や下水道などの整備は進められてきたものの、人口は4977人(6月1日現在)で、1990年の7363人から約3割減少。県全体の減少率(約1割)を上回り、過疎化が進んでいる。
住民からは「遺跡のために生活しているわけではない」という批判も上がる。近年村は既存集落が集積する地域での住宅開発を認めるなど、遺跡の保存と村の活性化のバランスに心を砕いてきた。56年の村の誕生から数えて7代目となる森川裕一村長は「村を挙げて歴史的風土の保存に取り組んできた結果、全村がまるごと博物館となっている。まさに世界遺産となるのにふさわしい」と述べた。←引用終わり
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