私立大学の設置び懸かる巨大な「学校法人」は、様々な理由を付け大学名の売り込みとカネ儲けが主軸で大学教育や環境に無頓着な学生を釣り上げ
私立大学を設置経営する半数以上の「学校法人」は、
名誉欲と学位記販売業でのカネ儲けに主眼があり、
学術文化の探究あるいは人財の育成教育に不要不可欠の関心があるワケでもナイ。
自らが、中堅の私立大学の経営法人に参与し、大鉈を振るった経験からすれば、
中途半端な私立大学ほど「理念」も「戦略」もないまま、ズルズルと経営を続けてきたとしか言えない。
将来の危機的状況に対処するため「剰余金=繰越金」を大量に貯め込み、それを自慢する事はあるも、
次代への教育投資に資する事など考えもせず、ただ「ひたすら」に貯め込むのだ。
(貯め込む事が目的化され、それを何時、どの条件で使用するかは、ないのだ)
呆れて、
経営戦略の大改革と、それに伴う組織の大改編を行った。
最初は、ブツブツと消極的な受け入れだった。
次に、財務資産の内で「再投資」可能な要素と、その見返りについて中長期の策定を行った。
学生総数が減じる環境で、学生に見向きもされず、対象にも選ばれない状況の打破が必要だった。
そのために、次代の求めに見合う「価値観」を創出リードする。
キャンパスの整備と象徴性を高める事。
競争環境の再認識と対応する価値観を提議する。
そのための「大幅な、機構改革」を断行すると、
まぁ、狭い範囲の旧弊な価値観による「ステークホルダー」が、様々な形で抵抗し反対し妨害する。
足掛け15年。
実質は12年の孤独な闘いでもありましたが、改革を成し遂げた基礎を確立したと考え、
18年前に退きました。
結果的には、
受験学生に「見棄てられる事なく」一応の「競争力」を保っているようです。
手付かずで積残した今後の課題は「文系の数量科学分野」の確立です。
この分野は、自身が研究ゼミを預かった大学が大学院の研究科で取り組もうとしています。
持論としては、国公私立の別なく、
「本質的な競争力の無い400大学は、直ちに廃止せよ!」が基本の主張で、
併せて、
学位記販売業の巨大な「オバケ大学」や「幼稚園大学」は、
特に3万人以上の収容定員を保つ大学は、同時に30%~50%の定員削減をせよと一貫して要求する。
(この種のこの規模の大学はマスプロのままで、ベルトコンベアで学位記を与え販売して恥じない)
文部科学省は、天下り先も求めているのだろうが、
国家百年の大計で、大学の整理と文科省との癒着を徹底して糺せと要求する。
<コラコラコラム ©>
引用開始→ 私立大学の53%が定員割れ――ドラッカーが35年前に説いた「選ばれる組織」の共通点 (MSN/ダイヤモンドオンライン 2026/07/15.ダイヤモンド社書籍編集局)いま、日本の私立大学のおよそ半数が定員割れに陥り、財務省は2040年度までに「4割削減」という数値目標まで示した。大学という組織が「何のために存在するのか」を根本から問い直されるこの時代に、古びない補助線を引いてくれるのが、経営学の父ピーター・ドラッカーが80歳で著した『非営利組織の経営』であり、その「ミッション」の考え方は、あなた自身の会社や仕事が本当は何をなすべきかを見直す道具にもなる。本連載では、膨大なドラッカーの著作を読み返し、その中から令和の現在に役立つ知を取り出して紹介していく。
(構成:ダイヤモンド社書籍編集局)存在理由が問われる時代
いま、私立大学のおよそ半分が「定員割れ」――募集した人数より入学者が少ない状態――に陥っている。少子化はこの先も止まらず、大学は多すぎるといわれて久しい。2026年4月には、財務省の諮問機関(国のお金の使い方を助言する会議)が、2040年度までに私立大学を約4割、数にして約250校減らすべきだという案まで示した。中には高校レベルの授業をせざるをえない大学もあると指摘され、生き残りをかけた淘汰が始まっている。
だが、本当に問われているのは大学の「数」ではないのかもしれない。数を減らす前に、一つひとつの大学が「自分は何のために存在するのか」に答えられるかどうかが問われている。
規模でも知名度でもなく、いま揺らいでいるのは存在理由そのものだ。まさに存在理由が問われているというこの状況にこそ、35年前、80歳のドラッカーが遺した本書の言葉が響いてくる。
そしてこれは、大学だけの話ではないはずだ。あなた自身の会社や仕事にも、同じ問いは向けられている。
ミッションは行動である
手がかりになるのが、本書でドラッカーが説く「ミッション」の考え方だ。ミッションとは、その組織が本気で果たすべき、たった一つの役割のことである。そして本書でドラッカーは、このミッションを見失った典型として、ほかならぬ大学を名指しする。
大学のミッションは混乱したままである。50もの違うことをしようとしている。うまくいくはずがない。これが、今日シンプルな単科大学に人気の集まる理由である。
――『非営利組織の経営』より
単科大学とは、一つの分野に絞った大学のことだ。役割をあれもこれもと抱え込むほど、組織は自分が何者なのかを見失う――本書にはそう書かれている。ミッションとは、掲げて終わる美しい文章ではない。ミッションは行動を生むものでなければ意味がない、というのがドラッカーの一貫した主張である。
絞るほど選ばれる理由
では、混乱したミッションをどう立て直すのか。ドラッカーの答えは明快だ。役割を足すのではなく、まず「何をやらないか」を決めることである。何かを加えたら何かを廃棄しなければならない。常に、最も役に立つものは何か、あまり役に立たなくなったものは何か、意義を失ったものは何かを検討していかなければならない。
――『非営利組織の経営』より
これは「あれもこれも」の真逆をいく発想だ。たとえば、進学校の教員から「面倒見が良い大学」として長年高い評価を受ける金沢工業大学は、有名大学と偏差値を競うのではなく、学生を一人前に育てることへ資源を集中させているように見える。「育てる」という独自の強みに愚直なまでに集中したからこそ、偏差値とは別のものさしで選ばれているのだろう。捨てることが力になるのだ。
大学だけの話ではない
ミッションを問い直す必要に迫られているのは、大学だけではないだろう。本書がそもそも扱うのは、学校や病院、地域の団体といった、利益を第一としない組織全般である。役割を増やしすぎて自分が何者かを見失う危うさは、あらゆる非営利組織に共通している。そしてそれは、利益を追う企業にも、私たち一人ひとりのキャリアにも当てはまるのかもしれない。事業も肩書きも増やせるだけ増やしたその先で、「自分は結局、何をなす存在なのか」。本書がいまなお読み継がれるのは、この問いが少しも古びないからだろう。
*この記事は、『非営利組織の経営』をベースに、独自の視点を入れて書き下ろしたものです。
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