香港 銅鑼湾書店の元店長「林栄基(ラム・ウィンキー)」さんの死を悼み氏の闘いを記事に記録された高橋正成氏に篤い敬意を表し記録します <補⑤>
外電の速報で
香港 銅鑼湾書店 の元店長「林栄基(ラム・ウィンキー)」さんの死を知った。
良心の人であった!
強い意志を保つ人であった!
2008年以降は、中国大陸へはモチロン香港へも、様々な理由に依り足を運ぶ事がなくなった。
それまでは、香港へ行くと、時間を見て銅鑼湾書店へ足を運んだ。
1997年7月に香港の施政権はGBから中国へ返還された。
その時、中国は大々的に「一国二制度」を堅守し保障すると強く内外へ発した。
しかしながら、それは100年の歳月をかけ「英国統治下にあった香港の仕組み」を、
中国式へ大きく混乱無く変換するための歳月と時間を述べたに過ぎなかった。
つまり、100のルールを、1年毎に1つづつ中国のルールへ置き換えるという事だった。
(様々なポイントが、中国の政府統治に置き換わり始めた)
5年もすれば「息」が詰まりそうな状況になるまで、然程の時間も要しなかった。
新聞、出版、TV報道は、徐々に「検閲」を受けるようになった。
やがて、中国の支配下にある事を示すように「言論規制」が始まった。
最初から、言いたい放題の「蘋果日報」が標的だろうとされたが、緩やかだった。
しかし、それは巧妙な罠で、他が炙り出され、事情聴取のため多くが大陸へ連れ去られ、そのまま姿を消した。
以降は、全世界からの批判や非難をモノともせず、香港の中国化は急進し、100年をせず50年で達成するだろう。
そんな中で、銅鑼湾書店は希望の星だったと受け止めている。
しかし、中国の当局は「自由な言論」を認めなかった。
遂に2015年に林さんは、拉致され連れ去られ追われる事になった。
<コラコラコラム ©>
引用開始→ 「香港の次は台湾、そして日本」中国での禁書を販売し拘束された林栄基さんが死去、言論弾圧と戦った書店主が託した警告
(公開日時:2026/07/05 13:00 東洋経済新報社高橋 正成 ジャーナリスト)香港を拠点に中国では「禁書」の本を販売し中国当局から拘束された林栄基さん(写真:今周刊)
2026年7月2日、香港の「銅鑼湾書店」元店長であり、中国当局による拘束を経て台湾へ逃れた林栄基(ラム・ウィンキー)さんが、肺がんなどのため台北市内の病院で逝去した。70歳だった。
林さんの訃報を受け、台湾の頼清徳総統はSNSで哀悼の意を表し、次のようにその功績をたたえた。
香港で禁書販売、中国当局による拘束、台湾へ亡命
「林栄基さんの逝去は深い悲しみですが、彼が遺した勇気は消え去ることはありません。台湾は、一人の香港の書店員が、最も平凡でありながら最も確固たる方法で『自由がいかに尊いか』を教えてくれたこと、そして民主主義は防衛の努力を続けなければならないと気づかせてくれたことを、永遠に記憶にとどめるでしょう」また、台湾の対中政策を担う大陸委員会も、「彼の台湾を愛し、民主と自由を支持する心は、国民から広く評価されるべきものである」との声明を発表している。
一方、故郷の香港では、かつて経営していた銅鑼湾書店の看板はすでに撤去されている。さらに、香港国家安全維持法などによる厳しい言論統制の下、彼の活動を公にたたえることは極めて難しい状況にある。
しかし、林さんが2016年に巨大な国家権力へ一人で立ち向かい、真実を語った勇気は、香港を離れた多くの人々や民主化運動の支持者の間で、今なお中国共産党の圧力に屈しなかった不屈の象徴として深く刻まれている。
林さんは1955年12月、香港で生まれた。1994年、香港の繁華街・銅鑼湾(コーズウェイベイ)のビル2階に、約28平方メートルの「銅鑼湾書店」を開いた。長時間を書店で過ごし、ときには店内で寝泊まりするほど情熱を注いでいた。
2014年には書店を出版会社「マイティ・カレント・メディア(巨流傳媒)」へ譲渡したが、自身は店長としてそのまま店に残り、日々の運営を任されていた。
【どんな人が「禁書」を買っていたのか】
そして2015年10月、中国広東省・深圳との境界を越えた直後、中国公安当局に拘束される。目隠しをされたまま連行され、隔離された状態で、「禁書」を中国国内へ販売したとして数カ月にわたり取り調べを受けた。その後は浙江省寧波や広東省韶関の図書館などの施設で監視下に置かれていたという。そもそも林さんが1994年に自ら書店を開いた背景には、香港が「一国二制度」の下で保障されていた自由な言論環境を生かし、人々が自由に知識を得て、権力を批判的に見つめる場をつくりたいという強い信念があった。
当時、中国国内では厳しい言論統制が敷かれ、共産党政権にとって不都合な歴史的事実や、指導部の権力闘争に関する書籍を出版することは極めて困難だった。
中国の人にも届けた「真実の記述」
林さんは、中国国内から香港を訪れる人々や香港市民に対し、情報統制の壁を越えた「真実の記述」を届けるニッチなインフラとしての価値を見出し、本を通じた社会貢献との思いで書店経営を続けていたのである。また、郵送などで中国国内の読者へ直接書籍を届けるビジネスモデルは、書店にとって重要な収入源でもあった。
では、「禁書」とされた本とは、どのようなものだったのか。
まず、習近平国家主席をはじめとする中国共産党指導部の内幕や私生活、愛人問題、さらには権力闘争などを扱ったゴシップ性の強い政治本である。そして、中国国内で発禁となっていた天安門事件などの歴史的出来事に関する記録や批判的な論評、さらに政治改革や民主化を訴える研究書や雑誌なども取り扱っていた。
これらは中国国内からの旅行客が土産代わりにこぞって買い求める人気商品だったとされる。林さんの書店は、それらを幅広く取り扱っていたことから、多くの人々の支持を集めていた。
中国政府の監視下に置かれた後の2016年6月、書店の顧客名簿が保存されたハードディスクを引き渡すことを条件に、一時的な香港への帰境を認められた。しかし林さんは当局の指示を拒否して記者会見を開き、中国当局に拘束された際の一部始終を公表した。
2019年、香港政府が中国への容疑者引き渡しを可能にする「逃亡犯条例」改正案の審議を始めると、林さんは身の危険を感じ、同年4月に台湾へ移住した。事実上の亡命だった。
【「銅鑼湾書店」の存在意義】
2020年4月25日、台北市内で「銅鑼湾書店」を再開すると、2024年には台湾の身分証を取得し、実質的に台湾社会の一員となった。しかし、2025年末から病気を理由に書店を一時休業して治療を続け、2026年7月2日、帰らぬ人となった。林さんが生涯をかけ、言論への弾圧に抗ってまで守ろうとしたのは、「思想の自由」「表現・出版の自由」、そして「民主主義の価値」だった。
台湾で書店を再開した際、林さんは「自由と民主主義の空気に満ちた台湾で再び店を開けるのは本当に嬉しい」と語った。単に本を売るだけではなく、人々が自由に議論し、社会のあり方を批判的に考えられる場を守り続けることにも強いこだわりを持っていたとされる。
読書を通じて権威主義の圧力に対抗するための拠点
実際、台湾での開店に際しては、「読書を通じて人々が思考力を養い、押し寄せる権威主義の圧力に対抗するための思想的拠点を築きたい」との考えを明確に示していた。そのため、台北で再開した銅鑼湾書店では、香港時代のようなゴシップ性の強い政治本ではなく、「民主主義」「自由」「人権」、そして台湾と香港の歴史や未来に焦点を当てた選書が行われていた。
具体的には、2019年の香港における逃亡犯条例改正案への抗議運動など民主化運動の記録や、中国の全体主義化を分析した学術書・政治書が並んだ。また、台湾民主化の歴史や国家としてのアイデンティティーを扱った書籍、独裁体制への抵抗や人権擁護、社会運動に関する国内外の翻訳書や哲学書も充実していた。
そのような林さんは、台湾社会において単なる外国人書店主ではなく、中国の脅威に直面する台湾の最前線に立つ象徴的な存在として受け止められた。一方で、その評価は大きく二分されていた。
蔡英文前総統や頼清徳総統をはじめとする民主進歩党(民進党)政権や立法委員(国会議員)らは、林さんの姿勢を強く支持した。蔡氏は開店日に祝意を寄せ、頼氏も直接店舗を訪問している。そして訃報に接すると、「平凡な方法で自由の尊さを教えてくれた不屈の勇気」と最大級の哀悼の意を表した。
また、台湾での書店再開に向けたクラウドファンディングでは、わずか数カ月で目標を大きく上回る約600万台湾ドル(約2150万円)が集まった。台湾市民が彼の再起をいかに温かく迎え、連帯を示したかを物語る出来事だった。
【台湾亡命】
しかし一方で、台湾内の熱烈な親中派・統一派団体やその支持者にとって、林さんは「反中感情をあおる危険人物」であり、強い敵意の対象でもあった。台北での書店開業直前の2020年4月21日には、路上を歩いていた林さんが男らから赤いペンキを浴びせられる襲撃事件が発生し、犯行グループはその後逮捕されている。
さらに、別の親中派グループが「銅鑼湾書店」の名称を先に商標登録し、嫌がらせによって出店を妨害しようとする動きもあった。
台湾では批判的な勢力もいたが…
加えて、中国との融和を主張する一部勢力からは、「香港の政治問題を台湾へ持ち込み、中台関係の緊張をいたずらに高めている」「民進党政権の反中プロパガンダに利用されている」といった冷ややかな批判が向けられることもあった。しかし、こうした人々が見落としている点がある。
林さんは、中国の「人民」、すなわち一般の中国人そのものを憎んでいたわけではない。実際、香港時代にも中国国内から訪れる多くの客に「禁書」を販売し、対話を重ねてきた。
彼が目指していたのは、中国の人々が政府の抑圧から解放され、香港人も中国人も、それぞれが個人の尊厳と自由を持つ主体として、互いを尊重しながら共に生きる社会だったのである。
また、香港へ戻れば再び拘束される危険があったことは事実だが、それ以上に、自由の失われた社会とは決別するという強い意思を示していたとされる。
そのため、亡命先の台湾で正式に身分証を取得した際には、自由が息づく台湾こそ、自らが人生を託す場所であるとの考えを語っていた。そして最期まで台北の地で人生を全うした。
台湾という土地を深く愛した一人だったと言える。
香港はアジア有数の親日地域と言われるが、林さん自身は日本をどのように見ていたのだろうか。
林さんは一貫して、日本に対し「自由と民主主義が成熟し、知的水準の高い国」という好意と敬意を抱いていたとされる。
かつてのインタビューでは、「日本の読者は非常に熱心で、香港や台湾、中国の政治状況について深い知識と問題意識を持って訪ねてくる」と語り、日本人の知的好奇心の高さを評価していた。
また、台湾で再開した銅鑼湾書店には、日本の文芸書や歴史書、哲学書の翻訳本も並び、日本社会や民主主義の歩みにも強い関心を寄せていたとされる。
【日本人へのメッセージ】
そうした中、台北の銅鑼湾書店には多くの日本人が足を運んでいた。来店者は、大きく分けると20代から30代の若い世代と、40代から60代以上の研究者や専門家、ビジネスパーソンが中心だったとされる。
日本人も多く訪れた書店
2019年の香港における逃亡犯条例改正案への抗議運動をリアルタイムで目の当たりにし、アジアの民主主義や人権問題へ関心を持った日本の大学生や若手社会人も少なくなかった。彼らは「歴史の当事者」である林さんから直接話を聞くため、台湾旅行の目的地の一つとして書店を訪れていたのである。一方で、報道関係者や東アジア政治の研究者、台湾駐在のビジネスパーソンらも頻繁に足を運んだ。彼らは単なる観光ではなく、中台関係や香港の現状に関する一次情報を得ることや、書籍の購入を通じて林さんの活動を支援することを目的に、継続して書店を訪れ、対話を重ねていた。
そんな林さんが、日本のメディアや訪問者に対して最も強く伝えようとしていたことがある。
それは、「独裁権力の脅威は決して他人事ではない」という地政学的な警鐘だった。
林さんは、「香港が倒れれば次は台湾、そしてその次は日本、あるいはアジア全体が中国共産党政権の圧力にさらされる」との危機感を繰り返し語っていた。
また、日本の人々に対しては、平和で民主的な社会に慣れているからこそ、自由は自然に存在し続けるものではなく、守り続けなければ失われかねないということを、香港の経験から学んでほしいと訴えていた。
とりわけ若い世代には、「もっと政治や周辺地域の情勢に目を向け、自分の頭で考える力を読書によって養ってほしい」との思いを伝え続けていたのである。
林さんが必死に私たちへ伝えようとしていたメッセージの重みは、計り知れない。←引用終わり
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