日本の社会は人財の採用軸で「官界は東大を、民間は早慶」を、人では無く大学名を軸にヒエラルキーの価値観を形成し、画一的に無責任運用のツケが
大学の評価は様々な角度で検証されるべきは当然だが、
日本の社会は、大半が「メディア」に刷り込まれたとおりに、
国公立大学、有名私立大学、著名私立大学を優先し、
報道するため、それらの優先が定着し一般化してしまった。
人生の成功を買うために、
大学(名)を買うのが実際の姿で現実だ。
それをメディアが煽り、進学塾というビジネスが参加し、
企業社会で採用する側は、採用者を真に評価せず、採用者の大学名を歳費の条件にする。
それらの要素が複合的に形成され、何よりも「人物より大学名」が広く定着した。
そこへ、
入学志願者が殺到する事もあり、
受験者の成績評価を偏差で計る方法が一般化し、大学の「序列化」を推し進めてきた。
大学の門が高いならと、首都圏を始め大都市では、
私立大学の付属学校への入学が一つの関門になり「付属」または「系列化」された
「幼稚園、小学校、中学校、高校」への入学を求め、熾烈な闘いが日常的に展開され、
それに目を付けた「受験ビジネス」は既に「産業領域」にあるともいえ、
他者を蹴落とすための熾烈な闘いが一部では公然と展開されている。
それにメディアも一枚噛み、
「美味い汁を吸う」事は茶飯の話で、何よりも「AERA」の母体である「朝日新聞」は、
例年3月には「東大」「京大」を始めとする有名著名国公私立大学の合格者に懸かる記事を特集し、
怒汚く薄汚い「セニ儲け」を恥もなく堂々と行っている。
それらを総合的に「積み上げた結果」が、
今日に至る「大学過多」の根源的病巣でもあります。
巨大メディアは、実に都合よく、
論点を変えながら、相互批判もせず、自分の手は綺麗だと主張する、
真に便利な恥知らずとも言えます。
<コラコラコラム ©>
引用開始→ 偏差値だけでは見抜けない「大学の価値」とは 200校超の取材でたどり着いた一つの答え
(MSN/AERA DIGITAL 2026/07/16.)大学の価値を決めるのは、偏差値なのか。全国の大学を歩き、学生や教職員の声に耳を傾け続けた取材班は、一つの答えにたどり着いた。地方大学や小規模大学をめぐる議論の先に見えてきたものとは何か。朝日新書『崖っぷちの私立大学 偏差値で測れない価値をどう見抜くか』から一部抜粋してお届けする。
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■大学の存在価値をおとしめる偏見
文科省幹部と高等教育論の専門家へのインタビューを通じて、日本社会にとっての地方大学や小規模大学の存在意義や、地域や日本社会に必要とされる大学を残していくための方策を探った。両者の話にも見られた通り、「2035年の崖」を前に今後の地方大学や小規模大学の見通しは非常に厳しい。一方で、大学の教育には依然として改善の余地が大きいことも明らかだ。社会のニーズもふまえながら、各大学が学生の成長を促す教育の内容や手法をいっそう磨いていくことが必要だ。
だが、今後の18歳人口の減少は、地方大学や小規模大学の自助努力だけでは対応が難しい段階に来ている。政府や自治体、産業界などが、大学を地域の将来に欠かせない「インフラ」と考え、積極的に支援していくことも不可欠だ。
しかし、私たちは、それ以上に重要なことがあると考えて、本書(朝日新書『崖っぷちの私立大学 偏差値で測れない価値をどう見抜くか』)を出版することを思い立った。それは、受験生や保護者、高校教員をはじめとする社会に根強く残る、知名度や偏差値が高くない大学は教育力も低いという偏見をなくすことだ。
取材班の記者自身も、大学の取材に取り組むまで、知名度や偏差値で大学や教育の善し悪しを判断しがちだった。そうした反省の気持ちを込めて、これまで一般の人には注目度が高くなかった大学の教育や学生支援の様子を、成長を実感する学生の声とともに、できるだけ丹念に描いたつもりだ。
不登校傾向がある子、発達に課題があるように見える子、外国にルーツを持つ子、複雑な家庭の子など、高校までの学校では多様な子どもが学んでいる。知名度や偏差値だけを物差しにした大学の選び方では、進学した大学とミスマッチを感じる子どもが増えることが心配される。
第5章の章末コラムで紹介したツールなども活用して、「4年間で成長できる教育を行っているか」を基準に進学先を選ぶ。多くの受験生や保護者にそうした姿勢が定着することが、どんな国の政策や自治体の取り組みよりも、存在価値のある地方大学や小規模大学を支援することにつながるはずだ。
(朝日新書『崖っぷちの私立大学 偏差値で測れない価値をどう見抜くか』から一部抜粋)
【AERA Books MEMO】■朝日新聞「ひらく 日本の大学」取材班『崖っぷちの私立大学 偏差値で測れない価値をどう見抜くか』
少子化の崖が迫る2035年、あなたの大学観が覆される。「名前を聞いたことがない大学」に、いちばん丁寧な「学び」があった。諦めかけた若者たちが初めて学ぶ喜びを知り、消えゆく地方を支えている。10年・200校以上を歩いた記者が辿り着いた「真実」を記した一冊。←引用終わり
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