上手く政治を機能させ「統治」するには統治者は統治される側を巧妙に操り大きな「共同幻想」を植え付けその詳細は決めず上手く自由に適正刺激する
まぁ、「バカチの巫女」こと「タカチの巫女」も
積年の課題で一山越えたとも言えるだろう。
それぞれ害酷塵が身の程も考えず、
汚ツラを歪めて喚き立てる、身勝手に自己主張を繰り返し繰り広げる言い分は聞くに堪えず。
ナカミチはんトコ、ヒラリのパヨクもソォカガッカリィも「反対」せずか?
「反対」するには見放されるに耐える「勇気」が要るだろうからナァ!
議決前に堆積し、消極的な「反対」を態度で示した
ナカミチパヨクの立派な「有田芳生」「石垣のり子」と他2名を曝すべきだ。
別に、口角泡を立てる程の案件でもないワケで、
従来までの「談合握り合い」の政治では解決しようともしなかっただけの事で、
無責任そのものだった。
アッフォォダロォも現代社会で「藤原道長」を目指すのかとか、
散々な言われようで、まぁ悪意を保つ側からの理解は得られないだろうから致し方なしですよね。
如何なる国も、あるいは如何なる社会も、
基本的に統治する側(上部構造)と統治される側(下部構造)がある。
上部構造は、
見えざる社会規範や生活律を軸に法律を制定し、
下部構造のあらゆる部分を規定し統治する。
それは法律を時宜に応じ改訂し、
社会的な不平や不満を和らげ吸収し、あるいは厳格化し有効な対処を得るために規定を改める。
常に「下部構造」の大半が求める「幻想」を適切に管理し、
必要に応じ発揮する事で統治を有効化を画策する。
何よりも「下部構造」が描く「幻想」は、
各々の描きに委ね個別に介入する事などを控える。
そのため、個々に醸成される「幻想」は個別であり独創性があると思われるが、
敢えて厳格に規定する事はない。
これが何よりも全ての大原則で、最重要なテーマとも言える。
「万世一系」は、
明治の政府(戊辰戦争を制した長州藩)が、
彼らの統治の正当性を得るために創出し利用したであろう「方便」とも言え、
正確には「万世一計」だったかも知れない。
少なくとも、①「応神皇」 ②「推古皇」 ③「継体皇」 に付いては、
いくつかの重要な議論のある処です。
記紀も含め深める処では様々な混迷の基でもあり、
敢えて触れる事なく蓋をしてきたとも言える。
この度の一連の騒ぎで「週刊文春」がパヨクの不平不満屋に乗っ取られている事だけは、
明らかになりましたねぇ・・・
<コラコラコラム ©>
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