日本の数学教育は難しい計算式を課し、計算の正確さと速度を求めるが、結果的に得たデータを正確に掌握し分析する事や、それで問題解決はしない
日本の数学は、算数の延長で、
数式は算術の計算式の方法に過ぎず。
例えば、
統計作業をする際に、手早く、確実に作業する方法を、
中学校で「数学」として基礎を教え、
高校で「数学Ⅰ」「数学ⅡA」「数学ⅡB」「数学Ⅲ」を「代数」として計算式を教え、
一方では「幾何学」として、
これまた「tan」も「sign」も「cosign」も計算の方法の一つとして暗記させるように教えてきた。
会計を進める際に、
確かに縦計と横計が素早くできる事は有用であったろう。
計算が苦手だった側には、イヤな科目で読書の時間だった。
高校の頃、
ある日、数学の時間に担当教員に質問した。
「作成した『数値結果』から、一体何を得ようとするのか?
あるいは、得た上で、
それをどう捉え考え、次に何を産み出そうとするのか?
勿論、仮説でも全く構わないが、それをどう捉える事ができるのか?」と、質問した。
すると、その教員は、
「そんな小難しい事を言う暇があれば、問題に取組み回答を進めなさい」と返してきた。
「此方の質問に対し、その答は " 0点 " やね、評価以前の答に唖然とするワ」と返してやると、
「何を生意気な、後で職員室へ来い」と、言うので。
「質問に真面に真っ当な答えもできぬ教員に、
後で職員室へ来い。と、言われてヘェヘェと行くバカはいない、
恥の上塗りは止めとけ怒阿呆」と言い返してやった。
すると、教室はヤンヤの喝采になり、
小試験は中止で、教員は肩を落として授業を止めた。
その後は大騒動になったが、
別段、なんの訓戒も訓告もなく「無かった事になったのだろう」と考えている。
その教員は、
何事も無かったように「数学(代数)」の授業を恥じらいもなく進めていた。
この件があり、
試験の点数は、一貫して「赤点」だったが、成績評価はこの時点から最後まで「A評価」だった。
そんなこんなで、
数学は、計算式で得た数値結果を基に、
次を類推するとか、思考の道具として設問されたテーマに対し「論述」するものだと確信を持った。
しかし、日本の数学教育は、
ナカナカ計算式と計算結果を素早く正確にから脱皮しない不思議を感じていた。
そこへ、
ニッポン放送の社長に就任した檜原麻希さんの人物紹介連載コラムがあり、
何となく眺めていると、
半世紀以上前に抱いた「日本の " 数学教育 " への疑問を解消する記述に出会えた」
写真で2022年8月23日の2回目の記事全体と、
数学教育にかかる記述の拡大記事を上げておきます。
久々に、溜飲の下がる思いでした。
日本の統計は、
同程度の他国に比べると実によくできていますが、
それに基づき、
テーマを打ち立て議論するという点では、全く幼児の思考です。
例えば、いま、
急激な人口減が大きな社会問題になり、
政治は目先の対応に追われていますが、
こんな事は1980年代に既に統計学上で人口構成が提議され、
まさしく現在の危機的状況に警鐘を打ちましたが、
大多数の日本人は当時は有頂天で真剣に考えないまま、
その後の40年を遣り過ごしたのです。
数学教育の欠陥を示す好例として、敢えて指摘しておきます。
正確な統計を作成した処で、
それを基に次に派生する問題や、類推しなければならない課題を、
日本の社会は抜き出そうともしないのです。
そのくせに、
数学の一端に過ぎない「計算の速さ、正確性」には、
異常に拘るのです。真に不思議な国です。
<コラコラコラム ©>
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