人は生誕の時にも死没する時も何も持たず、何も嘘飾せず しかしながら現実の世界を生きる際に「見栄」で「名誉」や「肩書」と「金銭欲」を追い愚かになる
盂蘭盆会の投稿 :
釈迦が開いたとされる佛教は、釈迦が体得した哲学だ。
その哲学を説く釈迦を弟子達は釈尊と讃え、釈迦を悟りを得た佛とし、
釈迦が得た悟りを整理し更に深め体系化し、教えとして讃え広めた。
祖先を儀式化し高め崇拝する人としての自然な心や、
苦しみからの救済を求める願いも包み込み、真実を説き真の目覚めを促し、
哲学と現世苦悩からの救いを求める願いへの混在混交を超えさせつつ、
佛教は現今に至っていると考えています。
人は生誕する時、死没する時、
何も持たず、本来無一物である。
人は生きる過程で醜さを考えもせず、
煌びやかな肩書きや財を持ちたがるが、
その多くは塵芥に過ぎない事を悟る事で、
その人生を大きく豊かにする。
人は「本来無一物」である。
一定の社会を形成するには価値観や習俗などに所以する不文律や成文規律があります。
① 生活律 を重視し、
② 宗教律 が倫として加わり、
③ 社会律 を形成し安寧を享受してきました。
それらを総合的に合意し「統一国家」を形成したとも言えます。
例えば、
いま各地でムスリムと日本社会の根底にある思想の違いを因とした争いが絶えません。
僅か、1%にも満たない側の暴圧に押しやられ、
手がつけられない状況へ追い込まれようとしています。
ムスリムは、
進出し占領した地域にある文物は、
芸術性があろうと歴史的建造物であろうと、躊躇なく平然と破壊します。
「神の御意志だ」との「アッラー アクバル」を唱え。
(残虐非道の非難も顧みず)
国連は、
無能で無責任な事務局長のグテーレスが主導し、
「SDGs」を提唱しました。
5年ほど前は、
汚調子者ドモの汚馬鹿が、競い合うようにマヌケなバッジを胸につけ、
恥とも考えず街を闊歩していました。 (アホクサ)
それで「世界は理解し合えたか?」
砂漠の世界で一神教が産んだ「ユダヤ」「カソリック」「プロテスタント」「ギリシャ正教」「東方正教会」。
そして「イスラム」は、「シーア派」と「スンニ派」で、
なぜに「殴り合い」「罵り合う」のか、理解し尊重できないのは、愚かな事だと考えないのか?
グテーレスは、
知性もなく、理解もなく、何を示し得たのか、何を提供できたのか?
そうか!
寝言を提供したのか?
5年以上を経て、
地球上に世界に対し、何を提供し貢献できたのか?
真摯に答えてみよ!
このようにエリートとされる側でも、人は愚かで寝言なのです。
人は生誕時に無一物で、人は死没時にも無一物です。
人は成長する過程で光り輝く名誉や財を身に着けたがります。
それが人の思考や行動を歪めます。
何もなければ、何も持たなければ、その一瞬を心静かに過ごせます。
「無一物」「無」の心を大切に。
<コラコラコラム ©>
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